後廃帝 (南朝宋)
(後廃帝から転送)
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後廃帝(こうはいてい)とは、劉宋の7代目皇帝。姓は劉(りゅう)、諱は昱(いく)。残虐な少年皇帝として知られる。
463年3月1日、湘東王劉彧の長男として生まれる。466年に父が帝位に就いたことで皇太子に立てられ、472年の父の崩御により宋の皇帝となった。劉昱は気性が荒く、幼い頃から家臣を理由無く殴り父から叱責を受けることが多々あった。皇帝に即位してからは毎日人を殺さないと不機嫌になったとされており、妊婦の腹を切り裂くなどのエピソードが史書に記録されている。ある日、重臣の蕭道成が昼寝しているのを見た劉昱は彼の腹を矢で射抜こうとした。結局周りの諫言で思いとどまったが、これに危機感を感じた蕭道成は477年8月1日にクーデタを起こし、劉昱は殺された。享年14。弟の劉準が蕭道成に擁立され皇帝となった。