小田原馬車鉄道
小田原馬車鉄道(おだわらばしゃてつどう)は、箱根登山鉄道株式会社及び株式会社小田急箱根、の旧社名である。
概要[編集]
1887年 (明治20年)11月20日に小田原馬車鉄道敷設(国府津と湯本間)のため「馬車鉄道敷設請願書」を神奈川県庁に提出した[1]。1888年(明治21年)2月21日、小田原馬車鉄道株式会社の会社を資本金6万5,000円で設立し、同年10月になり県の建設許可が下りた。本社は小田原府幸町1丁目24番であった。分社を国府津と湯本に設置した。小田原馬車鉄道は日本で3番目となる馬車鉄道であった。
小田原馬車鉄道は1888年3月から測量を開始し、馬車鉄道のレール敷設工事に着手した。1888年(明治21年)9月3日に全線の建設が竣工した。同年9月23日に株主懇談会(株主総会)を開催し、定款を決議する。社長に吉田直方が就任した。馬の厩舎は松原神社(神奈川県小田原市本町2丁目10-16)の裏に建てられた。車両は英国ジュヲルジミルンス社製6両、米国ジョンステヘンソン社製5両を購入した。馬車は2頭の馬が動力である。
1888年(明治21年)10月1日に開業式を行い、運転を開始した。起点は東海道線国府津停車場前、終点は湯本の旭日橋の手前広場で、距離は12.9km、軌間は1372mmであった。小田原と湯本間を35分で走行した。1889年(明治22年)3月、資本金を8万5000円に増額し、12月に社長は田島正勝に交代した。1894年(明治26年)に小田原馬車鉄道株式会社を法人登記した。1895年(明治27年)に社長に中野武営が就任した。
1896年(明治29年)10月15日、小田原馬車鉄道の商号を小田原電気鉄道株式会社に変更し、小田原馬車鉄道の名称は消滅した。資本金は70万円に増額された。なお、馬車鉄道が廃止されたのは4年後の1900年(明治33年)3月21日であり、3月22日から電気軌道線が営業を開始した。
注[編集]
- ↑ 箱根登山鉄道総務部総務課(1988)『すばらしい箱根』根登山鉄道株式会社