大谷恒

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大谷 恒
おおや つね
性別 男性
生年月日 1911年5月22日
出身地 茨城県
没年月日 1944年2月17日
死没地 トラック島
死因 アメリカ海軍艦載機の攻撃
国籍 大日本帝国
出身校 東京高等商船学校
在籍 大日本帝国海軍
役職 大日本帝国海軍大尉 特設巡洋艦愛国丸機関長
親戚 根本卓哉 大谷恵造 根本有美
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大谷 恒(おおや つね、1911年明治44年)5月22日 - 1944年昭和19年)2月17日)は、日本船員で、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍少佐

来歴[編集]

茨城県真壁郡小栗村(現・筑西市)に生まれる。旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)を首席で卒業した。東京高等商船学校に進み、卒業後は大阪商船(現・商船三井)に入って船員として勤務した[1]

太平洋戦争中に応召し、特設巡洋艦愛国丸に機関長として乗務した[1]。1944年にトラック島で愛国丸はアメリカ海軍艦載機の攻撃により沈没し、戦死した(満32歳没)[1]。1946年4月30日、靖国神社に合祀された。  

親族[編集]

孫に高等学校国語科教諭・大谷恵造、曾孫に心身統一合氣道会天心館道場道場長の門弟・根本卓哉がいる。また、孫に保育士で幼稚園教諭・根本有美がいる。

脚注[編集]