大津城の戦い

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大津城の戦い
戦争: 関ヶ原の戦い
年月日: 1600年9月7日~同年9月15日
場所: 近江国大津城(滋賀県大津市)
結果: 西軍の戦術的勝利、東軍の戦略的勝利
交戦勢力
西軍 東軍
指揮官
毛利元康
立花宗茂
小早川秀包
筑紫広門
京極高次
戦力
15000人 3000人
損害
不明 不明
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大津城の戦いとは、近江国大津城を巡って行われた関ヶ原の戦いの前哨戦である。

経緯[編集]

1600年徳川家康石田三成らの対立が決定的になり、三成は鳥井元忠伏見城攻め落とし美濃へ向かった。すると、西軍についていた京極高次が東軍に寝返り、手勢3000人を率いて居城の大津城に籠った。交通の要衝であるため、西軍は早急に対処する必要にあった。西軍は毛利元康を大将とし九州の諸大名を中心とした軍15000人を大津に送った。

経過[編集]

京極側は夜襲を仕掛けるなど激しく抵抗するが、立花勢の早込[注釈 1]などによって激しい銃撃に耐えられなくなった。13日には二の丸まで突破され、大砲の砲弾が天守にも命中するなど城内は混乱した。翌日に高次は降伏し、15日に剃髪・高野山に退去した。

結果[編集]

結果としては大津城は落城したが、開城した9月15日本戦が起きており、15000の将兵は間に合わなかった。家康はこの功を称え、高次に若狭国近江国高島郡の合計92000石となった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 火縄銃一発分の火薬の束を肩にかけさせ早く打てるようにする工夫。