堺市学童集団下痢症
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堺市学童集団下痢症(さかいしがくどうしゅうだんげりしょう)とは、1996年(平成8年)7月に大阪府堺市で発生した集団食中毒である。
概要[編集]
堺市内の学校ではこの年の7月11日から翌日にかけ、下痢・腹痛・発熱などの症状を訴えて病欠・早退する児童が急増したが、活発な梅雨前線の影響で冷え込んでいたところが急激に暑くなっており、校医・教育委員会は夏風邪みたいなものまたは感染性胃腸炎と判断し、地元の医者の殆ども「夏風邪」の診断を下していた。だがこれらの症状は学校給食で発生したO157による食中毒であり、児童7892人を含む9523人が感染。3人の児童が死亡した。更に併発した溶血性尿毒症症候群(HUS)による後遺症が残った児童も多数に及び、2015年(平成27年)には当時小学校1年生でHUSを発症した女性が後遺症により亡くなっている。O157による集団感染としては世界的に見ても未曾有の規模だった。
汚染されていた食材はかいわれ大根ではないかと名指しされたが、調査しても不明だった。この名指しによってかいわれ大根の生産業者が「科学的根拠が不十分なまま発表されて大きな被害を受けた」として国に損害賠償請求を起こし、業者が勝訴している。
堺市役所には花崗岩製の慰霊碑が建てられている。
死亡した児童[編集]
- 堺市立久世小学校5年生女子児童
- 7月11日発症。血便や鼻血が止まらず、翌12日から17日にかけて堺市内2つの病院に5回通院した。血液検査の結果、HUSの診断を受け守口市の関西医科大学附属病院(現・関西医科大学総合医療センター)に入院。腎機能に異常がなかったことから4回の血漿交換を行い、23日の昼頃までは特に異常もなく過ごしていたが、同日夕方に容態が急変。鼻血が出始めて意識不明となり、肺出血で呼吸不全となる。その後家族に看取られ死亡。後に死因が微小血管病性溶血性貧血(MAHA)であったことが判明した。
- 堺市立三原台小学校6年生女子児童
- 7月半ばから高熱と下痢が続いたため、14日に市内の病院を受診して「細菌性腸炎」の診断を受ける。その後血便が出るようになり、通院して点滴を受けていたがぐったりするようになったため18日午後に別の病院を受診。そこでHUSの診断を受けるが衰弱が激しく、その日のうちに吹田市の大阪大学医学部附属病院へ転送されるも、多発性脳内出血を起こして危険な状態に陥る。その後は小康状態を保つも8月16日午前に死亡。
- 堺市立新檜尾台小学校1年生女子児童
- 7月11日から発熱・腹痛を訴え病院を受診。翌日には血便が認められたため入院し、O157の診断を受ける。投薬等の治療を受けたが、16日から顔面浮腫、意識レベル低下が見られ和泉市の大阪府立母子保健総合医療センター(現・大阪母子医療センター)へ転院。その後多発性梗塞が認められ、脳浮腫、急性心筋炎を発症。昏睡状態のまま1997年2月1日に死亡。