向島貰い子殺人事件
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向島貰い子殺人事件は1936年に発覚した本所区向島(現:墨田区本所向島)で発生した貰い子殺人事件。
事件の概要[編集]
貰い子殺人事件の犯人である平原留次(48歳)と妻の澤村さく(43歳)は1936年12月12日から貰い子殺しの嫌疑で取り調べを受けており、14日の朝に自白した[1]。2人は1928年春、本所区横川町(現:本所横川)4-9に一戸を持ち人夫として働いていた[1]、1936年、子供がいないので本所区大平町(現:本所太平)1-3に住む産婆・竹村いせ(50歳)の世話で浅草区千束町1-17(現:浅草千束)在住の川口明の娘・さだ子(1932年1月22日生まれ)を養育費15円で貰い受けた[1]、養育は行っていたが邪魔になると感じたため牛乳を飲ませず、風邪を引いても病院へ連れていかず虐待し続け、さだ子は1936年10月5日に死亡した[1]。このことをきっかけに養育費目当ての貰い子殺しを思いつき、新聞に「子供貰ひたし」と広告を出し、子を貰っては次々に殺害しさだ子含め合計7人の乳児を殺害した[1]、一連の貰い子殺しにより養育を訳200円を稼ぎ、自宅の棚から3つの白骨が発見され、係官を唖然とさせた[1]、他の4つは墓地に埋めたと自供した[1]、また2人は本郷区駒込(現:本郷駒込)在住の産婆・田中ちよから岡崎俊夫の子(8人目)を貰っており、俊夫の子が死にかけていたことが砂町署から怪しまれる事となり、検挙に至った。逮捕後2人は「殺すつもりはなかった」と犯行を否認した[1]。俊夫の子は田中ちよに引き取られ保護されたが、19日朝に極度の栄養不良によって死亡した[1][2]。