十日間戦争

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十日間戦争
戦争: 冷戦ポスト冷戦
年月日: 1991年6月27日-1991年7月7日
場所: スロベニア
結果: スロベニアの勝利
スロベニアの独立
交戦勢力
スロベニア国旗.png スロベニア セルビア・モンテネグロ国旗.png ユーゴスラビア
指揮官
ミラン・クーチャン
ロイゼ・ペテルレ
ヤネス・ヤンシャ
イーゴリ・バフチャル
ヴェリコ・カディイェヴィッチ
アンテ・マルコヴィッチ
ブラゴイェ・アジッチ
コンラート・コルシェク
アレクサンダル・ヴァシリェヴィッチ
ミラン・アクセンティイェヴィッチ
戦力
45,200人 22,300人
損害
戦死者19人
負傷者182人
戦死者44人
負傷者146人

十日間戦争 (とおかかんせんそう) とは、1991年6月から7月にかけて10日間ほど行われた戦争のことである。ユーゴスラビア紛争で行われた。

概要[編集]

詳細は「ユーゴスラビア紛争」を参照

独立宣言[編集]

1991年6月25日スロベニアユーゴスラビアから独立宣言をする6月26日には、独立式典が行われた。独立式典の際もユーゴスラビアとの衝突が行われたが、大惨事には至らなかった

侵攻[編集]

だが翌日の6月27日にはユーゴスラビア軍が本格的な侵攻を開始。スロベニア国内の軍事基地や空港や、その他の国との国境周辺で衝突が発生した。だが、クロアチアもその際独立宣言を行っていたため、セルビアからスロベニアに軍を送ることは難しかった

7月2日には、ユーゴスラビアが他のヨーロッパ諸国からの目を気にし、一部軍隊を撤退させた7月7日には合意が形成され、ユーゴスラビア軍が撤退。翌日の7月8日にはスロベニアの勝利宣言が行われた

その後[編集]

その後スロベニアは一瞬落ちぶれたが、経済は発展し、現在では先進国と言えるほど成長している2004年にはEUに加盟2007年にはユーロ通貨統合が行われた。

関連項目[編集]