伊藤友美
プロフィール | |
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生年月日 | 1969年11月9日 |
現年齢 | 55歳 |
出身地 | 神奈川県[1] |
血液型 | O[1] |
瞳の色 | ブラック |
毛髪の色 | ブラック |
公称サイズ(1988[2]時点) | |
身長 / 体重 | 154 cm / ― kg |
スリーサイズ | 78 - 58 - 85 cm |
活動 | |
デビュー | 1988 |
出演期間 | 1988 |
他の活動 | 看護学生 |
伊藤友美(いとう ともみ、1972年頃 - )は、日本のAV女優。自称18歳で何作かのビデオに出演したが、後にデビュー時15歳であることが発覚する。作品を持っている人は合法的に[要出典]15歳のおせっせ♡を鑑賞できる。
経歴・人物[編集]
1971年頃、生まれる。
1988年8月、『友美のいけない冒険』でデビュー。AV女優としてのキャリアは比較的短い。そりゃそうだろう当時のプロフィールは「1969年11月9日生まれ、神奈川県出身」つまりデビュー時18歳ということになっていたが、実際には15歳だったことが判明、年齢詐称については健康保険証の姉の誕生日を使ったという説が有力[注釈 1]。
趣味はローラースケートとピアノと料理[2]。
マウントプロモーション[編集]
1988年6月頃、マウントプロモーションのスカウトマンが渋谷駅前[3](公園通り[4])で家出中の友美をスカウト。マウントプロモーションの加入させ、同社から20万円を受け取った。マウントプロモーションは制作会社5社に友美を紹介し、計500万円を受け取った[4]。
1988年7月、都内のホテルや山梨県の別荘地でAV5本[3]を撮影[5]。友美の出演料は1本当たり80万円だったが[注釈 2]、マウントプロモーションは計100万円しか渡していなかった[3]。
警視庁は1989年7月21日までに、当時15歳の埼玉県出身の[4]看護学生[6]だった友美をAV制作会社に紹介したとして、芸能プロダクション「マウントプロモーション」の経営者・原正明(30)[3]を職業安定法違反で、また、紹介を受けてAVに出演させた制作会社5社の関係者計7人を児童福祉法違反の容疑で逮捕した[6]。この他、芸能プロダクション社員1人を職業安定法違反で指名手配した[5]。
マウントプロモーションは社名を何回か変えながら多い日には100人をスカウト、名前や電話番号のリストを作成し、他のAVプロダクションにあっせんしたりタレント養成所や美容学校に売るなどして数億円を荒稼ぎしていた。1989年の報道によると業界最大手のAVプロダクションである[4]。
フィルモグラフィ[編集]
- 友美のいけない冒険 (1988年8月5日、MARIANA)
- 湖畔に燃えて…18才 (1988年8月22日、TOKYOパリス)
- ロマンコレクション Hな乳ウエイブ (1988年9月15日、アテナ映像)※共演:杉浦みなみ
- 淫乱小娘 (1988年9月28日、宇宙企画)
- あぶないセーラー服 (1988年10月15日、KUKI)
考察[編集]
1988年6月当時の肩書が看護学生であることから、本稿では1988年3月31日に中学校を卒業しているという見解を採用する。そのためには可能な誕生日は1972年4月2日以降1973年4月1日以前。
1988年6月1日現在15歳と仮定して可能な誕生日は1972年6月2日以降1973年6月1日以前。1988年6月30日現在15歳と仮定して可能な誕生日は1972年7月1日以降1973年6月30日以前。
推定される誕生日は1972年6月2日以降1973年4月1日以前。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- “アダルトビデオに15歳少女あっせん 東京で8人逮捕”. 朝日新聞: p. 19. (1989年7月21日)
- “アダルトビデオのスカウトマンが15歳少女出演させる”. 毎日新聞: p. 31. (1989年7月21日)
- “15歳少女のポルノビデオプロダクション 出演料ピンハネし暴利”. 毎日新聞: p. 15. (1989年7月21日)
- “15歳家出少女をピンクビデオに 8人を逮捕”. 読売新聞: p. 15. (1989年7月21日)