今泉宜子

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今泉 宜子(いまいずみ よしこ、1970年 - )は、比較文化学者。明治神宮国際神道文化研究所主任研究員。専門分野は明治神宮史。国際日本文化研究センター共同研究員、國學院大學研究開発推進機構研究開発推進センター共同研究員を兼任[1]

経歴[編集]

岩手県生まれ[2]。1989年岩手県立水沢高等学校卒業。東京大学文科三類入学[3]。1994年[4]東京大学教養学部比較日本文化論学科卒業[2]。雑誌編集者を経て、國學院大學で神道学を専攻[2]神職資格を取得[1]。2000年より明治神宮に所属[2]。2002年渡英[5]。2007年ロンドン大学SOAS博士課程修了[2]。明治神宮に関する学位論文で博士号(学術)を取得[6]。2009年9月から1年間、フランス国立社会科学高等研究院客員研究員[2]。2015年から4年間、国際日本文化研究センター客員准教授[1]

備考[編集]

202年に東京大学名誉教授の平川祐弘第37回正論大賞を受賞した際、「比較研究者として、世界の中の日本を見据えてこられた。先生の学恩に感謝したい」とコメントした[7]

磯前順一は「出雲神話論――神話化する現代」(原武史菅孝行、磯前順一、島薗進大澤真幸片山杜秀『これからの天皇制――令和からその先へ』春秋社、2020年)で「ロンドン大学SOASから日本の研究所に籍を移した研究者がいます。彼は、戦前の国家神道は終わったと言います。もう忘れていいんだよと。(中略)彼のもとで博士論文を書いた日本人女性は、明治神宮に勤めています。(中略)そういう人たちは日本の神道には政治的な責任はないよと言ってくれます。(中略)しかし、彼らの期待に反して島薗さんはこう言っています。「一九四五年以降も国家神道は存続している」と。そもそも批判的契機を欠いたこの外国人やその弟子の研究は、本当に学問なのでしょうか。」と述べている[8]木村悠之介によると、この「日本人女性」とは今泉を指しており、磯前は「祀られざる神の行方――神話化する現代日本」(『現代思想2013年12月臨時増刊号 総特集=出雲』)では今泉を名指ししている[8]。また「ロンドン大学SOASから日本の研究所に籍を移した研究者」とはSOASにおける今泉のpersonal supervisorであったジョン・ブリーンであると推測される[8]。木村はブリーンが「戦前の国家神道は終わった」などと言ったとすることに疑問を呈している[8]

著書[編集]

単著[編集]

  • 明治神宮――「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮社[新潮選書]、2013年)
  • Sacred space in the modern city : the fractured pasts of Meiji shrine, 1912-1958(Brill, 2013)
  • 『明治日本のナイチンゲールたち――世界を救い続ける赤十字「昭憲皇太后基金」の100年』(扶桑社、2014年)
  • 『明治神宮 内と外から見た百年――鎮守の森を訪れた外国人たち』(平凡社[平凡社新書]、2021年)

共著[編集]

  • 『環境貢献都市 東京のリ・デザイン――広域的な環境価値最大化を目指して』(遠藤薫、井関和朗、奥森清喜、河村茂、楠亀典之、齋藤智香子、祖父江光治、中川智之共著、浅見泰司、中井検裕、山口幹幸、佐土原聡、陣内秀信編著、清文社、2010年)
  • 『天皇のダイニングホール――知られざる明治天皇の宮廷外交』(山﨑鯛介、メアリー・レッドファーン共著、思文閣出版、2017年)

編著[編集]

  • 『明治神宮戦後復興の軌跡――いとも厳しく美はしく社殿成りて 代々木の杜と鎮座地渋谷。焼け跡からの再生物語』(編、発行者:明治神宮社務所、発行所:鹿島出版会、2008年)
  • 『明治神宮以前・以後――近代神社をめぐる環境形成の構造転換』(藤田大誠、青井哲人、畔上直樹共編、鹿島出版会、2015年)

出典[編集]