三村日修(みむらにっしゅう、1823年(文政6年)3月4日-1891年(明治24年)5月17日)は、江戸時代から明治時代の日蓮宗の僧。字は円政、宴政、号は心妙院。 備後国(現在の広島県)出身。
日蓮宗の教育の振興と布教のため、身延山中心体制の確立を目指したことで知られる。
金沢の立像寺の私塾充洽園で日輝に学び、大阪中教院講主、京都本圀寺住職などを経て、明治18年に日蓮宗管長、明治19年に身延山法主を歴任した。