三菱 七試艦上戦闘機
三菱 七試艦上戦闘機(みつびし ななしかしんじょうせんとうき)は、三菱重工業が大日本帝国海軍向けに開発した艦上戦闘機である。その斬新な設計は、後の九六式艦上戦闘機や零式艦上戦闘機といった名機へと繋がる、日本の航空機開発における重要な一歩となった。
概要[編集]
1932年(昭和7年)に海軍から提示された「七試艦上戦闘機計画」に基づき、三菱重工業が開発に着手した。当時の日本の航空技術はまだ発展途上にあり、列強各国に比べて劣っていると認識されていたため、海軍は「世界水準を超える性能を持つ艦上戦闘機」を求めた。これに応える形で、三菱の設計主務者である堀越二郎技師は、当時としては革新的な設計思想を盛り込んだ機体設計を行った。
開発[編集]
七試艦上戦闘機の開発は、当時の日本の航空技術の粋を集めた一大プロジェクトであった。従来の木金混合構造ではなく、当時黎明期であった全金属製構造を採用し、さらに機体各所の空気抵抗を極限まで低減させるための努力が払われた。特に、主翼と胴体の滑らかな接続、引き込み式主脚の採用(ただし、試作機では固定脚)、密閉式コックピットの導入などは、当時の日本の航空機としては非常に先進的な試みであった。
しかし、これらの新技術の導入は同時に多くの困難を伴った。特に、高翼面荷重による着陸速度の増大は、当時の空母への着艦には危険が伴うと判断され、最終的に固定脚に改められるなど、設計の修正が余儀なくされた。また、エンジンの選定にも苦慮し、当初はハ8空冷エンジンが搭載されたが、後に寿空冷エンジンに換装された。
1933年(昭和8年)3月11日に初飛行を行った。試験飛行では、設計通りの高速性能と運動性を示したが、いくつかの問題点も露呈した。特に、エンジン出力の不足と、全金属製構造による重量増加が課題として挙げられた。これらの問題点を克服するため、海軍は三菱に対して改良を指示し、その経験は後の九六式艦上戦闘機の開発へと活かされることとなる。
特徴[編集]
七試艦上戦闘機の最も特筆すべき特徴は、その先進的な空力設計と構造である。
- 全金属製構造:当時の主流であった木金混合構造から脱却し、ジュラルミンを主材とする全金属製応力外皮構造を採用した。これにより、機体強度の向上と軽量化の両立が図られた。
- 引き込み式主脚:計画当初は引き込み式主脚の採用が予定されていた。これは、飛行中の空気抵抗を大幅に低減し、最高速度の向上に寄与すると期待された。しかし、技術的な問題と着艦時の安全性への懸念から、最終的には固定脚となった。
- 密閉式コックピット:パイロットの居住性向上と空気抵抗の低減のために、密閉式コックピットが採用された。これも当時としては非常に先進的な試みであった。
- 細身の胴体と楕円翼:空気抵抗を最小限に抑えるため、胴体は細く絞られ、主翼は楕円翼が採用された。これにより、高い揚抗比を実現し、優れた飛行性能を発揮した。
諸元[編集]
(データは推定値を含む)
- 全長:7.00 m
- 全幅:10.00 m
- 全高:2.80 m
- 主翼面積:18.0 m²
- 自重:1,250 kg
- 全備重量:1,700 kg
- 動力:中島飛行機製 寿 空冷星型9気筒エンジン(出力:約600馬力)
- 最大速度:約340 km/h
- 航続距離:約800 km
- 武装:七・七粍機関銃 × 2
その後[編集]
七試艦上戦闘機は、最終的に制式採用されることはなかった。しかし、この機体の開発を通じて得られた技術的知見と経験は、その後の日本の航空機開発、特に九六式艦上戦闘機や零式艦上戦闘機といった画期的な航空機の誕生に不可欠なものとなった。堀越二郎技師をはじめとする開発チームの努力は、日本の航空技術の飛躍的な発展に大きく貢献したと言える。
豆知識[編集]
- 七試艦上戦闘機の設計は、当時三菱の若手技師であった堀越二郎が手掛けた最初の本格的な軍用機設計であった。
- 開発コードは「カ-8」であった。
- 引き込み脚の採用が見送られた背景には、当時の日本の空母の着艦設備の未熟さも影響していたと言われている。