ルンガ飛行場
ルンガ飛行場は、第二次世界大戦中にソロモン諸島のガダルカナル島に建設された飛行場である。現在のホニアラ国際空港の前身にあたる。この飛行場を巡って、1942年から1943年にかけて、大日本帝国とアメリカ合衆国の間でガダルカナル島の戦いと呼ばれる激しい戦闘が繰り広げられた。
歴史[編集]
建設と占領[編集]
ルンガ飛行場は、元々大日本帝国海軍によって建設が進められていた飛行場である。1942年5月に日本軍がガダルカナル島に進出し、戦略上の重要性から飛行場の建設を開始した。完成すれば、この飛行場は日本のソロモン諸島における航空作戦の拠点となり、連合国軍のオーストラリアへの補給線を脅かす可能性があった。
しかし、日本軍の建設途上の1942年8月7日、アメリカ海兵隊がガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領した。このガダルカナル島の戦いの始まりであった。アメリカ海兵隊は日本軍が建設していた飛行場を接収し、急速に完成させた。アメリカ軍はこの飛行場をヘンダーソン飛行場と命名し、ガダルカナル島の戦いにおける連合国軍の航空作戦の最重要拠点として運用した。
ガダルカナル島の戦い[編集]
ヘンダーソン飛行場を巡る攻防は、ガダルカナル島の戦いの中心であった。日本軍は、飛行場を奪還すべく一木支隊、川口支隊、第二師団などを投入し、総攻撃を敢行したが、いずれも失敗に終わった。特にヘンダーソン基地艦砲射撃やサボ島沖海戦など、飛行場の支援を巡る海戦も激しく行われた。
アメリカ軍は、ヘンダーソン飛行場を拠点に制空権を確保し、日本軍の増援部隊や補給船を攻撃した。これにより、日本軍はガダルカナル島への補給が困難となり、多くの兵士が飢餓や病気で命を落とすことになった。飛行場の存在は、ガダルカナル島の戦いの趨勢を決定づける要因の一つとなった。
戦後[編集]
ガダルカナル島の戦いが1943年2月9日に日本軍の撤退(ケ号作戦)によって終結した後も、ルンガ飛行場は連合国軍の重要な航空拠点として使用され続けた。戦後、この飛行場は民間空港として再整備され、現在のホニアラ国際空港となっている。現在でも空港の周辺には、当時の戦闘の痕跡が残されている。
豆知識[編集]
- ルンガ飛行場の名称は、近くを流れるルンガ川に由来する。
- ヘンダーソン飛行場の名称は、ミッドウェー海戦で戦死したアメリカ海兵隊のロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんで名付けられた。彼は、アメリカ海兵隊のパイロットとして初めて戦死した人物の一人である。
- ガダルカナル島の戦いでは、日本軍の戦闘機「ゼロ戦」とアメリカ軍の「ワイルドキャット」の間で激しい空中戦が繰り広げられた。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 児島襄『太平洋戦争』中公文庫
- 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』文春文庫
- サミュエル・エリオット・モリソン『モリソンの太平洋海戦史』光人社