ルイ・フィリップ (フランス王)

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ルイ・フィリップ(仏: Louis-Philippe Ier)とは、フランス・オルレアン朝の国王。フランスの国王となった最後の人物でもある。

生涯[編集]

1773年10月6日、オルレアン家のルイ=フィリップ平等公とパンティエーヴル公爵の娘ルイーズ・マリーの間に生まれる。オルレアン家はルイ14世の弟フィリップが創始した家系である。1789年フランス革命が始まると、王族でありながら啓蒙思想に染まっていたルイ・フィリップは父とともに革命運動に身を投じた。1793年、ルイ・フィリップはデュムリエ将軍に従ってオランダ方面での戦い(フランス革命戦争)に従軍するが敗北。兵士に反乱を起こされたデュムリエとルイはオーストリアへの亡命を余儀なくされる。なお、これが一因となって父の平等公はギロチンで処刑された。

以後はプロイセンイギリスで亡命生活を送り、1800年にルイ16世の弟ルイ18世と面会して和解した。ナポレオン1世が皇帝を退位し王政が復活するとフランスに帰還し、オルレアン公の領地を回復した。復古ブルボン朝の反動政治が強まる中、ルイ・フィリップは過去の革命に参加した経歴から市民の間で人気が高まっていった。

1830年七月革命により国王シャルル10世が逃亡すると、ルイ・フィリップが新たにフランス国王に戴冠され、オルレアン朝を創始した。しかし市民の期待をよそにルイ・フィリップは保守的な統治を継続。厳しい制限選挙をはじめとする富裕層優遇政策により「株屋の王」と揶揄されるようになった。1848年、ギゾー内閣の圧政に耐えかねた市民の不満が爆発し、二月革命が勃発した。ルイ・フィリップは変装して王宮の裏口から脱出し、イギリスに亡命した。1850年8月26日に英国内で死去した。享年76。

関連項目[編集]