ラインの護り
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「ラインの護り」 | |
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発祥 |
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リリース | 1840年 |
ジャンル | 愛国歌 |
時間 | 4分34秒(フル)、3分51秒(一部音源) |
作詞者 | カール・ヴィルヘルム (Carl Wilhelm) |
作曲者 | ヨハン・ゴットフリート・ピーフケ (Johann Gottfried Piefke)、他[注 1] |
言語 | ドイツ語 |
ラインの護り(-まもり)(独:Die Wacht am Rhein)(ラインの守り、ライン川の守り/護りとも)とは、1840年、ドイツ連邦とフランス王国がライン川西岸を巡って紛争寸前まで至っていた際に作曲された愛国歌である。
その後[編集]
プロイセンとフランス帝国が争った普仏戦争では、この曲が兵士や市民の精神を鼓舞するために盛んに歌われた。
普仏戦争ののち、ドイツ帝国が形成されると、この曲は愛国的なものとしての地位を確立した。
ナチスではプロパガンダの為に用いられることが増え、戦後の現在では演奏や歌唱が憚られることが多い。しかし、それでも一部のスポーツ団の応援などに歌われることがある。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 作曲者はヨハン・ゴットフリート・ピーフケだが、氏自身は簡素なメロディーしか付けておらず、後に多くの作曲者が編曲したという経緯がある。