マティルダ (イングランド女王)
マティルダ・オブ・イングランド(英:Matilda of England)とは、イングランド王ヘンリー1世の娘で神聖ローマ皇后。従兄弟のスティーヴンとイングランド王位を巡って争い、一時期王座に着いていた。現在歴史家の間で彼女はイングランドの女性君主としては認められているものの、ノルマン朝の正式な王としては認められていない。
生涯[編集]
1102年2月7日に誕生。1114年に神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ5世と結婚。この際名前をアデレードからマティルダに改めた。ハインリヒ5世との間には子供が生まれないまま1125年に死別した。1120年に弟ウィリアムが海難事故で死亡していたため、マティルダが王位継承者となった。1128年にはアンジュー伯ジョフロワ5世と再婚している。1135年に父王ヘンリー1世が崩御したが、市民や貴族達はドイツやフランスで長年過ごしてきたマティルダを嫌い、ヘンリーの従兄弟スティーヴンを新王に擁立した。
怒ったマティルダはイングランドへの侵攻を開始し、スティーヴン派とマティルダ派の間で無政府時代と呼ばれる王座をめぐる内戦が勃発する。マティルダ軍は1141年2月のリンカーンの戦いでスティーヴンを捕虜にする大勝利を挙げ、マティルダはイングランド女王としてロンドン入りしようとするが、市民に嫌われていたため入城を拒否された。同年9月にはスティーヴン派の軍に敗北を喫し、以後も苦戦を続け1148年にフランスへの撤退を余儀なくされた。しかし1153年、マティルダとジョフロワの長男アンリが大軍を率いてイングランドに上陸。遂に両者の間で和睦が結ばれた。これによりスティーヴンが正統なイングランド王と認められたものの、次の王にはアンリが即位することが取り決められた。1154年、スティーヴンの崩御によりアンリがヘンリー2世として即位。マティルダは息子の統治をフランスで見守り、1167年に死去した。享年65。