ハレー彗星問題
ハレー彗星問題とは、イギリスの天文学者 エドモンド・ハリーが研究したハリー彗星[1](Halley's comet)[2][3][4][5] が「ハレー彗星」と誤表記されている問題である。
概要[編集]
イギリスの天文学者エドモンド・ハリー(Edmond Halley, 1656.11.8-1742.1.25)は、多くの業績を残したが、特に彼の名前を有名にしたのは、1456年、1531年、1607年、1682年に現れた彗星が同一の彗星で、1758年に再び現れるだろうという予言が的中したということである。 この彗星は、彼の業績をたたえてハリー彗星(Halley's comet)と名付けられた。 また、イギリスの南極基地には、彼の名を冠したハリー基地(Halley Base)があり、現在でも国立極地研究所や多くの地図で、「ハリー基地」と表記されている。 この事実は、現在の天文の世界でのみ「ハレー」という誤った書き方がされているということを意味している。
発音[編集]
標準的な英語での発音は、[hæli](ハリー) [6] [7] [8] [9] [10] [11] であり、一部に「ヘイリー」と発音する人がいる。 彼自身が「ハレー」と発音していたという歴史的な証拠はない。にもかかわらず、「ハレー」と書かれることが多いのは、以下に述べるように、単に発音に詳しくない過去の著述家やマスメディアが、きちんとした発音調査もせず、「ハレー」という誤読表記の子引き、孫引きを繰り返した結果、協調性バイアスと現状維持バイアスによって、訂正されないという心理学的な効果の結果である。 特に、「ハレー彗星」という誤った呼び方を決定的に広めてしまったのは、宇宙科学研究所と東京天文台であり、その責任は重大と言わなければならない。
明治43年のハリー彗星の出現[編集]
1910年にハリー彗星が回帰した時、日本天文学会の機関誌「天文月報」が創刊された。 当時の記事には、全て「ハリー彗星」と表記されている。
この時、地球がその尾の中を通過するため、尾に含まれるかもしれない毒ガスで人類が滅亡するかもしれないとして、世界中が大騒ぎになったエピソードを題材にした話が、ドラえもんの「ハリーのしっぽ」[12]としてある。 また、保阪嘉内による「ハーリー彗星之図」もよく知られている[13]。
「天文月報」に「ハレー彗星」という表記が最初に現れるのは、1916年2月号の早乙女清房の記事である。[14]
戦後の「ハレー」,「ハリー」混在期[編集]
戦後、日本の天文普及に大きな影響を与えたのは、野尻抱影の啓蒙書だった。例えば、「天体の話」には「ハレー彗星」と書いてある[15]。しかし、実際には、1970年代までは、「ハレー」、「ハリー」両方の表記が混在していた。これは、実際に外国に行く機会のあるプロの天文学者(小尾信弥、村山定男、広瀬秀雄、斉藤馨児など)が「ハリー」という正確な表記をしていたためとみられる。「ハレー」と書いているのは、おもにアマチュア天文家やジャーナリストの書いた記事で、鈴木敬信、冨田弘一郎なども「ハレー」と書いていた。
ハレー彗星探査計画以降[編集]
このように、1970年代までは、「ハレー」、「ハリー」両方の表記が混在していたが、1977年にアメリカ・NASAがこの彗星に探査機を送る計画を発表すると、新聞各紙は一斉に「ハレー彗星」と書き、その他のメディアもそれに追随して「ハレー彗星」と書いた。。 そして、1982年にCCDカメラでこの彗星の回帰が検出されると、新聞各紙は再び「ハレー彗星」と書き、これが今日の「ハレー彗星」優勢を決定づけたのである。1980年代の宇宙科学研究所のPLANET-A計画でも「ハレー彗星」とか「ハレー艦隊」と書いたことが、「ハレー彗星」の定着化につながった。
ハリー基地[編集]
ところが、イギリスの南極観測基地である"Halley Base"は、現在でも国立極地研究所や白瀬矗極地探検記念館を含む多くの地図で「ハリー基地」と表記されている。[16] [17] [18] [19] [20] このことは、現在の天文界の多数派である「ハレー」という表記が間違っているということを意味している。
このように複数の表記がある場合、NHK、朝日新聞、読売新聞、共同通信の4社の社内ルールでは、いずれも現地での呼び方に近い表記をするという基本方針で一致しており[21]、[22][23][24]これに従えば「ハリー」と表記すべきということになる。このような、外国語固有名詞の誤表記の問題は、一部の場合を除いて基本的には法律問題ではなく、政策問題とされているので、誤表記は違法ではないが失政である。しかし、真実を書く(間違ったことを書いてはいけない)というジャーナリズムの基本には反する(放送法には明確な規定(第4条,第9条)があるのでテレビやラジオの放送では違法となる)ので、単に世間の多数派に迎合させて書く、というウィキペディアのルール自体が悪いということは明らかである。
表記の変遷[編集]
明治以降の主な表記は、以下のようである。
年月 | 表記 | 書籍名 | 執筆者 | 出版社 |
---|---|---|---|---|
1908-1915 | ハリー彗星 | 「天文月報」 | 一戸直蔵 他[25]
[26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] |
日本天文学会 |
1910.5. | ハーリー彗星之図[49] | 保阪嘉内 | ||
1910.5.19 | ハリー彗星 | 東京日日新聞[50] | 東京日日新聞社 | |
1910.5.29 | ハリー彗星 | 絵葉書[51][52] | 東京天文台 | 日本天文学会 |
1916.2 | ハレー彗星 | 「天文月報」 [53] | 早乙女清房 | 日本天文学会 |
1928 | ハレイ彗星 | 「天文年鑑」昭和3年版P.49 | 天文同好会 | 新光社 |
1941.5.2 | ハリー彗星 | 朝日新聞夕刊 | 本田親二 | 朝日新聞社 |
1948 | ハレー彗星 | 「天体の話」[54] | 野尻抱影 | 講談社 |
1961.8.12 | ハレーすい星 | 読売新聞夕刊[55] | 読売新聞社 | |
1965.10.17 | ハレーすい星 | 読売新聞朝刊[56] | 読売新聞社 | |
1965.10.21 | ハリーすい星 | 読売新聞夕刊[57] | 小尾信弥 | 読売新聞社 |
1968 | ハレー彗星 | 「天文年鑑」1968年版 P.89 | 冨田弘一郎 | 誠文堂新光社 |
1968 | ハレー彗星 | 「天文年鑑」1968年版 P.105 | 鈴木敬信 | 誠文堂新光社 |
1969 | ハレー彗星 | 「天文年鑑」1969年版 P.78 | 鈴木敬信 | 誠文堂新光社 |
1973 | ハレー彗星 | 「天文年鑑」1973年版 P.94 | 冨田弘一郎 | 誠文堂新光社 |
1973.4.18 | ハレーすい星 | 読売新聞夕刊[58] | 読売新聞社 | |
1973.10.31 | ハレーすい星 | 読売新聞夕刊[59] | 読売新聞社 | |
1974.11 | ハレー彗星 | 「流星観測ガイドブック」P.141 | 竹内雄幸 | 誠文堂新光社 |
1976 | ハリー彗星 | 「天文年鑑」1976年版 P.93 | 冨田弘一郎 | 誠文堂新光社 |
1976.4 | ハリー | 「探検と株券とビーズ」、「天文ガイド」1976年4月号[60] | 斉田博 | 誠文堂新光社 |
1977.7.6 | ハレーすい星 | 朝日新聞朝刊 | 朝日新聞社 | |
1977.12 | ハレー彗星 | 「天文ガイド」1977年12月号P.73 | 斉田博 | 誠文堂新光社 |
1978.2 | ハリー彗星 | 「天文・宇宙の辞典」P.467 | 広瀬秀雄 | 恒星社 |
1978.4 | ハーレ | 「天文計算入門」P.207 | 長谷川一郎 | 恒星社 |
1979.8.23 | ハレー彗星 | 読売新聞夕刊 | 冨田弘一郎 | 読売新聞社 |
1979.11.21 | ハレーすい星 | 朝日新聞朝刊 | 朝日新聞社 | |
1982.3 | ハーリィ | 「彗星カタログブック」P.28 | 長谷川一郎 | 河出書房新社 |
1982.9.10 | ハレーすい星 | 毎日新聞 | 毎日新聞社 | |
1982.10.21 | ハレーすい星 | 朝日新聞 | 共同通信 | 朝日新聞社 |
1983.3 | ハレー | 「天文学人名辞典」P. | 中山茂編 | 恒星社厚生閣 |
1985.4 | ハレー | 「ドラえもん」第33巻「ハリーのしっぽ」[61] | 藤子 F. 不二雄 | 小学館 |
1986.7 | ハレー彗星 | 「天文学辞典」P.554 | 鈴木敬信 | 地人書館 |
19xx | ハリー彗星 | 「日本大百科全書」[62] | 斉藤馨児 | 小学館 |
1989.7.10 | ハレー彗星 | 「天文資料集」P.109 | 大脇直明他 | 東京大学出版 |
1992.6 | ハリー基地 | 「世界精密地図」地図80 | 人文社 | |
1994.11 | ハレー彗星 | 「学術用語集天文学編」増訂版 P.32 | 日本天文学会 | 日本学術振興会 |
1995.10 | ハリー | 「コンサイス外国人名辞典」P.684[63] | 三省堂 | |
1998.2 | ハレー | 「理化学辞典」第5版P.1070 | 岩波書店 | |
1998.2 | ハリー | 「理化学辞典」第5版P.1546 | 岩波書店 | |
2003.11 | ハレー | 「オックスフォード天文学辞典」P.328 | 岡村定矩 | 朝倉書店 |
2012 | ハリー基地 | 「なるほど知図帳世界2012」地図95 | 昭文社 | |
2023 | ハリー基地 | 国立極地研究所 北極南極科学館 館内展示地図[64] | 国立極地研究所 | |
2024 | ハリー基地 | 白瀬南極探検隊記念館 館内展示地図 | 白瀬矗極地探検記念館 | |
2025 | ハレー彗星 | 「天文年鑑」2025年版 | 片岡克規 | 誠文堂新光社 |
脚注[編集]
- ↑ JapanDict
- ↑ goo辞書 ハリー彗星
- ↑ 京都大学学術情報リポジトリ紅
- ↑ RomajiDesu
- ↑ ナムウィキ]
- ↑ YouTube発音サイト Halley
- ↑ YouTube発音サイト Halley
- ↑ YouTube発音サイト Halley
- ↑ YouTube発音サイト Halley
- ↑ YouTube発音サイト Halley
- ↑ 発音サイト Halley
- ↑ [http;//www6338.webdata/image/Doraemon33.pdf 「ハリーのしっぽ」、「ドラえもん」第33巻PP.100-112]
- ↑ ハーリー彗星之図
- ↑ 「天文月報」1916年2月号 早乙女清房
- ↑ [ 「天体の話」P.145、野尻抱影]
- ↑ なんきょくキッズ
- ↑ 南極観測基地の一覧
- ↑ 国立極地研究所 北極南極科学館 館内展示地図
- ↑ 「なるほど知図帳世界2012」地図95、昭文社
- ↑ 「世界精密地図」地図80、人文社(1992年)
- ↑ 「NHKことばのハンドブック第2版」
- ↑ 「朝日新聞の用語の手引(2019)」
- ↑ 「読売新聞用字用語の手引(第5版)」
- ↑ 「記者ハンドブック(第13版)」
- ↑ 「ハリー彗星(一)」、小川清彦、「天文月報」第1巻第2号PP.16-18、1908年
- ↑ 「ハリー彗星(二)」、小川清彦、「天文月報」第1巻第3号PP.23-24、1908年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星の光度」、一戸直蔵、「天文月報」第1巻第6号P.58、1908年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星現はる」、ひ、き、「天文月報」第2巻第8号P.95、1909年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星の昨今」、一戸直蔵、「天文月報」第2巻第11号P.129、1909年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星」、一戸直蔵、「天文月報」第2巻第12号PP.143-144、1910年
- ↑ 「周期的彗星」、小倉伸吉、天文月報第3巻第1号PP.3-7、1910年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星」、ひ、き、「天文月報」第3巻第1号P.11、1910年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星観測遠征」、一戸直蔵、「天文月報」第3巻第1号PP.11-12、1910年
- ↑ 「ハリー彗星資料」、平山清次、天文月報第3巻第2号PP.12-22、1910年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星」、小倉、「天文月報」第3巻第2号PP.24-26、1910年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星観測」、一戸直蔵、「天文月報」第3巻第3号PP.35-38、1910年
- ↑ 「ハリー彗星」、一戸直蔵、「天文月報」第3巻第4号PP.41-43、1910年
- ↑ 「雑報 大連のハリー彗星観測」、田代、「天文月報」第3巻第4号PP.48-50、1910年
- ↑ 「ハリー彗星」、井上四郎、「天文月報」第3巻第4号PP.50-51、1910年
- ↑ 「ハリー彗星」、一戸直蔵、「天文月報」第3巻第5号PP.53-58、1910年
- ↑ 「ハリー彗星」、一戸直蔵、「天文月報」第3巻第6号PP.67-70、1910年
- ↑ 「雑報 ハリー彗星」、小川清彦、天文月報第3巻第10号P.118、1911年
- ↑ ハリー彗星の核の旋転」、小川清彦、天文月報第4巻第2号P.21、1911年
- ↑ ハリー彗星」、天文月報第4巻第3号PP.33-34、1911年
- ↑ ハリー彗星」、天文月報第4巻第5号P.59、1911年
- ↑ スペクトルより推算しせるハリー彗星の視線速度」、天文月報第4巻第9号P.104、1911年
- ↑ ハリー彗星の尾の光輝の分布状態」、天文月報第4巻第12号P.141、1912年
- ↑ ハリー彗星とみずがめ座流星群」、天文月報第8巻第9号P.107、1915年
- ↑ ハーリー彗星之図
- ↑ [ 東京日日新聞 明治43年3月19日]
- ↑ 東北大学総合知デジタルアーカイブ
- ↑ [1]
- ↑ 「天文月報」1916年2月号 早乙女清房
- ↑ 「天体の話」P.145、野尻抱影
- ↑ [http://www26887.la.coocan.jp/webdata/image/Yomiuri19610812.pdf 読売新聞1961年 8月12日夕刊]
- ↑ [http://www26887.la.coocan.jp/webdata/image/Yomiuri19651017.pdf 読売新聞1965年 10月17日朝刊]
- ↑ [http://www26887.la.coocan.jp/webdata/image/Yomiuri19651021.pdf 読売新聞1965年 10月21日夕刊]
- ↑ [http://www26887.la.coocan.jp/webdata/image/Yomiuri19730418.pdf 読売新聞1973年 4月18日夕刊]
- ↑ [http://www26887.la.coocan.jp/webdata/image/Yomiuri19651017.pdf 読売新聞1973年 10月31日夕刊]
- ↑ 「天文ガイド」1976年4月号P.73
- ↑ [http;//www6338.webdata/image/Doraemon33.pdf 「ハリーのしっぽ」、「ドラえもん」第33巻PP.100-112]
- ↑ [2]
- ↑ [http;//www6338.webdata/image/Halley684.pdf 「コンサイス外国人名辞典」P.684]
- ↑ [3]