戦艦 ティルピッツ

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ティルピッツドイツ語: Tirpitz)は、第二次世界大戦中にドイツ海軍が運用した戦艦である。ビスマルク級戦艦の2番艦として建造され、その巨大さと強力な兵装から「北の女王」と称され、連合国海軍に大きな脅威を与えた。

概要[編集]

ティルピッツは、アドルフ・ヒトラーによるドイツ再軍備計画の一環として建造された。その設計は、先行するビスマルクとほぼ同じであり、基準排水量42,900トン、全長251メートルに達する巨艦であった。主武装として38cm砲連装4基8門を搭載し、最大速力30.8ノットを発揮できた。

ビスマルクが1941年5月に撃沈された後、ティルピッツはドイツ海軍における最大の水上戦闘艦となり、その存在自体が連合国にとって大きな脅威となった。特にイギリス海軍は、ティルピッツの大西洋進出を警戒し、大規模な戦力をもって常にその動向を監視する必要に迫られた。

戦歴[編集]

ティルピッツは就役後、主にノルウェーのフィヨルドに潜伏し、ソ連向けの援ソ船団に対する攻撃作戦に従事した。しかし、その巨体ゆえに航行が制限され、また連合国の徹底した航空偵察により行動が筒抜けであったため、大規模な艦隊決戦に参加することはほとんどなかった。

  • 1942年夏:PQ17船団に対する陽動行動に参加。ティルピッツの出撃情報により、護衛のイギリス艦隊は船団から離脱し、PQ17船団はドイツ潜水艦と航空機の集中攻撃を受け、多数の商船が沈められた。
  • 1943年9月スピッツベルゲン島への襲撃作戦である「シチリア作戦」に参加。これはティルピッツが参加した唯一の対地砲撃作戦であった。

ティルピッツの主な役割は、その「存在艦隊」としての影響力であった。連合国はティルピッツの出撃を常に警戒し、貴重な海軍戦力を北海に釘付けにせざるを得なかった。特にイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、ティルピッツを「野獣」と呼び、その撃沈を強く望んだ。

最後の戦いと沈没[編集]

イギリス空軍は、ティルピッツを撃沈するために幾度も空襲を敢行した。幾度かの失敗の後、1944年9月にはX艇による特攻作戦「ソース作戦」によって損傷を与えた。しかし、ドイツ軍の懸命な修理により、ティルピッツは再び行動可能となった。

最終的にティルピッツは、1944年11月12日トロムソ沖に停泊中、イギリス空軍のアブロ ランカスター爆撃機が投下した巨大爆弾「トールボーイ」の直撃を受け、転覆、沈没した。この攻撃には、かの有名なダムバスターズのパイロットであるガイ・ギブソンも参加していた。

ティルピッツの沈没により、イギリス海軍は北海に張り付けていた戦力の多くを解放することができ、その後のノルマンディー上陸作戦など、他の戦線に投入することが可能となった。

豆知識[編集]

  • ティルピッツは、その姉妹艦であるビスマルクと同様に、巨大な船体にもかかわらず、優れた水中防御を有していた。
  • その防御力ゆえに、イギリス軍は撃沈に大変苦労したため、「単独で艦隊を拘束した艦」と評されることもある。
  • ティルピッツの沈没地点は現在も確認されており、海底にはその残骸が横たわっている。
  • ドイツ海軍では、ティルピッツを「不沈艦」と呼ぶこともあったが、これは結果的に覆された。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • グループIV (2009)『世界の戦艦 歴史と技術の全貌』学研パブリッシング
  • ゴードン・ウィリアムソン (2006)『世界の戦艦:1906-1945』大日本絵画
  • 文林堂 (2000)『世界の艦船 増刊第18集 ドイツ戦艦史』海人社