ザクセン王国
概要[編集]
ザクセン王国とは、1806年から1918年までドイツ東部、現在のザクセン州にかつて存在していた王国である。首都はドレスデン。
前史[編集]
元々ザクセンは、現在のニーダーザクセン州を拠点とする部族であった。現在のザクセン州は、ポーランドと同系のスラヴ族の地で、7,8世紀には東方から進出したアヴァール族の支配も受けていた。10世紀になって、東フランクが東に領土を広げ、現在のザクセン州あたりもドイツに組み込まれ、マイセン辺境伯領となった。
1089年以降、ヴェッティン家がマイセン辺境伯を世襲する様になる。1423年には、フリードリヒ1世がザクセン・ヴィッテンベルク公となり、以降ザクセン選帝侯に任ぜられた。なお、かつてのザクセンの地はいくつもの領邦に細かく分割されており、ザクセン・ヴィッテンベルク公領もかつてのザクセンの地から東に外れた地であった。
マイセン辺境伯よりザクセン選帝侯の方が格上であることから、この時のヴェッティン家の領土が、以降ザクセンと呼ばれる様になる。
歴史年表[編集]
- - 1806 ザクセン王国成立
ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世が即位。ザクセン王国が成立する。
- - 1807 ティルジット条約
プロイセン領コトブスを獲得する。またザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世がワルシャワ公国の君主になった。
- - 1809 第五次対仏大同盟戦争
オーストリア軍が一時的にドレスデンを占領するなどザクセン内でも戦闘が発生する。
ナポレオンと共にロシア遠征に参加するが敗北し大損害を受ける。
- - 1813 ライプツィヒの戦い
ザクセン領が主戦場になり、ザクセンはナポレオンから離反。 領土は連合国に占領された。
- - 1815 ウィーン会議
ウィーン会議により、ザクセン王国は領土の半分(主に北部)をプロイセンに割譲することになる。
- - 1815 ドイツ連邦加盟
ザクセン王国はドイツ連邦に加盟した。
- - 1827 フリードリヒ・アウグスト1世死去
フリードリヒ・アウグスト1世が死去し、弟であったアントン王が即位した。
- - 1831 ザクセン王国憲法制定
ザクセン王国憲法が制定され、絶対王政から立憲君主制へ移行した。
- - 1836 アントン王死去
アントン王が死去し、その甥であったフリードリヒ・アウグスト2世が即位した。
- - 1848 3月革命
ヨーロッパ各地で連鎖的に発生していた3月革命がザクセン王国にも影響を及ぼし、検閲の緩和などの措置が取られた。
- - 1854 フリードリヒ・アウグスト2世死去
フリードリヒ・アウグスト2世が死去し、弟であったヨハン王が即位した。
- - 1866 普墺戦争
ザクセン王国軍はオーストリア側で参戦し、敗戦。ただプロイセンによる併合は北ドイツ連邦加盟という条件付きで免れた。
- - 1870 普仏戦争
ザクセン王国軍は北ドイツ連邦軍として参戦し、フランス軍と戦った。
- - 1871 ドイツ帝国成立
プロイセン主導のドイツ帝国が成立し、ザクセン王国はプロイセン王国バイエルン王国ヴュルテンベルク王国の一つとして加盟した。
- - 1873 ヨハン王死去
- - 1902 アルブレヒト王死去
- - 1904 ゲオルク王が死去
息子のフリードリヒ・アウグスト3世が即位。
- - 1918 ドイツ帝国敗北
第一次世界大戦にドイツ帝国が敗北し、ドイツ各地で革命活動が激化する中フリードリヒ・アウグスト3世が退位宣言。 ザクセン王国は終焉を迎える。