カルル・ハインリッヒ・シュトラッツ
カルル・ハインリッヒ・シュトラッツ(Carl Heinrich Stratz、1858年6月14日 - 1924年4月21日)は、ドイツの婦人科医。医学および人類学に関する学術書や一般書を数多く出版した。最も有名な著作のなかで、女性の美しさを評価し、それを向上させるための基準について論じた。小児科および思春期医学においては、健康な身体の形態学に関する貴重な貢献を残した。
経歴[編集]
1858年6月14日、オデーサの裕福な商人 Heinrich Stratz の子として生まれる。一家はもともとバーデン=ヴュルテンベルク州エメンディンゲン郡Simonswald の出身で、エカチェリーナ2世の時代(在位:1762年 - 1796年)にロシアに移った。弟の Rudolph Heinrich Stratz は作家である[1][2]。
ロシア国籍で生まれた一家であるが、1874年1月13日にロシアで市民徴集兵(英: Narodnoe Opolcheniye)の召集が始まった後の1876年、ルイーゼ・フォン・プロイセン(1838年 - 1923年)の尽力によりバーデン大公国(英: Grand Duchy of Baden)に受け入れられた[3]。
1877年、ルプレヒト・カール大学ハイデルベルクで医学を学び始める。1877/78年と1878/79年の冬学期(独: Wintersemester)、および1879年の夏学期(独: Sommersemester)をそこで過ごした。1879/80年の冬学期はフライブルク・イム・ブライスガウで、1881年から1882年まではライプツィヒで勉強を続けた。1883年8月2日、ハイデルベルクで医学博士の学位をクム・ラウデで取得。1883年から1886年まで、シャリテー産科学臨床研究所(独: Klinischen Institut für Geburtshilfe)で Karl Schroeder の助手を務める。
1887年、弟の Rudolf とともに赤道アフリカへ渡り、同年、王立オランダ領東インド陸軍の軍医となり、婦人科医としてジャワ島に派遣される。バタビアの病理解剖学の研究所で働く。1890年には島の奥地へ調査旅行に赴く。1892年、軍医としての仕事を終え、ジャワ島での研究成果を発表した。
- C. H. Stratz 『Gynäcologische Anatomie Bd.1 Circulationsstörungen und Entzündungen der Ovarien und Tuben』 Fischer's Medizinische Buchhandlung、1892年。
- C. H. Stratz 『Gynäcologische Anatomie Bd.2 Die Geschwülste der Eierstöcke』 Fischer's Medizinische Buchhandlung、1894年。NCID:BA17485633。
1898年までにアメリカ、中国、日本への調査旅行を終える。1902年、ベルリン人類学・民族学・先史学会(独: Berliner Gesellschaft für Anthropologie, Ethnologie und Urgeschichte)の会員となる。1904年の『Mitteilungen zur Geschichte der Medizin und der Naturwissenschaften』には、ストラッツが「南米、南アフリカ、オーストラリアを除く全世界を注意深く旅した」と記されている。1908年にヨーロッパに戻り、ハーグに定住。産婦人科医として開業。10年以上国外に滞在したためドイツ国籍を喪失したが、後に再取得している [4]。
1914年に皇帝勅令(独: kaiserlichen Erlass)によってプロイセン教授(独: preußischer Professorentitel)の称号を授与されるが、この件に関して詳細は不明である。第一次世界大戦中のシュトラッツの医療活動については正確には分かっていない。負傷したロシア人が治療を求めて彼のもとを訪れたと本人は述べている。また、職業柄ヨーロッパ各地に行くこともあり、弟のルドルフは自伝によるとシュトラッツはフランス、クールラント、マケドニア、そして再びフランスで長年にわたり陸軍病院長を務めた[4]。
1918年、ドイツ軍の軍医として1918年春季攻勢に参戦。イギリス軍の使用したダムダム弾の殺傷力の大きさについて報告した[5] (おそらく)初めての人物である。1919年には再びハーグに住んでいた。1923年、骨盤内膿瘍(独: Beckenabszeß)を患い、この年の秋以降は寝たきりとなる。1924年4月21日死去。
業績[編集]
彼の著作は非常に成功を収め、頻繁な好意的なレビューを受け多くの版を重ねた。彼の医学的・美的専門知識は医師だけでなく美術史家や芸術家からも認められ、『Die Schönheit des weiblichen Körpers』は1913年までに22版を重ね、1941年には45版が出た。同書はほぼすべての美術館や図書館に所蔵されている。また、最大の影響を与えたのは子供と青少年の体型に関する著書で、何十年にわたって引用され続けた。この点を指摘したハンス・グリムはシュトラッツについて「青少年の医学的研究のパイオニアの一人」と評している[6]。
シュトラッツの人体の美に関する著作、特に『Die Schönheit des weiblichen Körpers』は豊富な図版で構成されている。掲載されている写真は若い女性のヌードが多く、出所は多岐にわたる。撮影者の名前は一部しか明かされていないが、中にはストラッツの友人の個人的なコレクションに由来する物もある[7]。
シュトラッツは人種学的な人間観を支持しており、女性の役割は健康的な国民たること、つまり強くて健康な子孫を産むことにあるとしている。1916年に『Die Körperpflege der Frau』の序文でこう述べている。「この偉大な時代において、女性たちは自然が自身に課した崇高かつ神聖な義務を明確に認識するようになった(略)妻および母親として創造された、健康で美しく強い女性こそが未来の女性である」[8]。
主著[編集]
- C. H. Stratz 『Een en ander over gynaecologische massage』、1897年。OCLC 1155410704。
- Carl Heinrich Stratz 『Die Frauen auf Java: eine gynaekologische Studie』 Hansebooks、2016年(原著1897年)。ISBN 9783743321540。
- C. H. Stratz 『Der geschlechtsreife Saeugethiereierstock』 M. Nijhoff、Haag、1898年。OCLC 1042976642。
- C. H. Stratz 『Die Schönheit des weiblichen Körpers: den Müttern, Ärzten und Künstlern gewidmet』 F. Enke、1898年。OCLC 956544349。
- カール・ハインリッヒ・シュトラッツ 『女体の美』 現代性科学研究会訳、美学館、1981年。NCID:BN0432087X。
- Carl Heinrich Stratz 『Die Frauenkleidung und ihre natürliche Entwicklung』 F. Enke、1900年。OCLC 697615402。
- C.H.シュトラッツ 『女体美と衣服』 高山洋吉訳、西田書店、1979年。NCID:BN07438038。
- C. H. Stratz 『Die Rassenschönheit des Weibes』 F. Enke、1901年。OCLC 1042952346。
- C・H・シュトラッツ 『女体の人種美』 高山洋吉訳、西田書店、1979年。NCID:BN06018252。
- C. H. Stratz 『Die Körperformen in Kunst und Leben der Japaner』 F. Enke、1902年。OCLC 1156383646。
- C.H.シュトラッツ 『生活と芸術にあらわれた日本人のからだ』 高山洋吉訳、西田書店、1977年。NCID:BN06018387。
- C.H. Stratz 『Der Körper des Kindes und seine Pflege : für Eltern, Erzieher, Ärzte und Künstler』 Ferdinand Enke、1941年(原著1903年)、12. Aufl。NCID:BA17485666。
- C. H. スュトラッツ 『子供のからだとその養育 : 教育家・兩親・醫者・藝術家に捧ぐ』 森徳治譯(訳・編)、汎洋社、1943年。 。NCID:BA45649637。
- Carl Heinrich Stratz 『Was sind Juden? Eine ethnographisch-anthropologische Studie』 F. Tempsky (Wien) und G. Freytag (Leipzig)、1903年。NCID:BA88954199。
- C. H. Stratz 『Die rechtzeitige Erkennung des Uteruskrebses: ein Wort an alle praktischen Aerzte』 Ferdinand Enke、1904年。OCLC 1155411878。
- C. H. Stratz 『Lebensalter und Geschlechter』 Ferdinand Enke、1926年。OCLC 1041062942。
脚注[編集]
- ↑ “Stratz, Rudolf Heinrich Karl”. Landesarchiv Baden-Württemberg. 2013年1月6日確認。
- ↑ 『Meyers Großes Konversations-Lexikon』Bd.19、1909年、6. Auflage、108頁。2025年10月3日確認。
- ↑ Rudolph Stratz 『Schwert und Feder: Erinnerungen aus jungen Jahren, Berlin』 A. Scherl、1925年、23–24。
- ↑ a b Rudolf Stratz 『Reisen und Reifen, der Lebenserinnerungen zweiter Teil』 A. Scherl、Berlin、1926年、188頁。
- ↑ Carl Heinrich Stratz 『Englische Platzgeschosse R.A. 16. VII aus der grossen Offensive vom 21. März 1918』 F. Enke、Stuttgart、1019年、6-11頁。
- ↑ Hans Grimm (1979). “Carl Heinrich Stratz (1858 bis 1924) als Mitbegründer einer Ärztlichen Jugendkunde”. Ärztliche Jugendkunde 70 (3): 190. .
- ↑ Michael Hau (2000). “The Holistic Gaze in German Medicine, 1890–1930”. Bulletin of the History of Medicine 74 (3): 503. .
- ↑ Carl Heinrich Stratz 『Die Körperpflege der Frau』 Ferdinand Enke、Stuttgart、1918年、5. Auflage。