ウィリアム2世 (イングランド王)

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ウィリアム2世(英:William II)とは、イングランド・ノルマン朝の2代目国王。渾名は赤顔王

1060年頃に生まれる。父はノルマンディー公ギヨーム(後のイングランド王ウィリアム1世)、母はマティルダ・オブ・フランダース。1087年、父ウィリアム1世が崩御すると三男にも関わらず長男ロベールに先んじてイングランド王に即位した。なお、ロベールは結局ノルマンディー公の地位を継ぐこととなった。父と同じく武勇の才があり、スコットランドとの戦争に勝利して従属させたりしたが、王としての器は無かった。カンタベリー大司教の座を空位にして教会の財産を横領したためローマ教皇と対立し、貴族への統制を強めて反乱を招いた。1100年8月2日、ハンプシャーのニュー・フォレストの薄暗い森での狩猟中、従者の誤射を受けて崩御した。遺体は森の中で放置されたあと、粗末な荷馬車で運ばれて埋葬された。偶然狩猟に立ち会っていた弟ヘンリーがヘンリー1世として即位した。なお、ウィリアムの死については諸説あり、ヘンリーやローマ教会による暗殺との噂が絶えない。