イギリス陸軍航空隊
イギリス陸軍航空隊(イギリスりくぐんこうくうたい、英語: Royal Flying Corps、略称: RFC)は、第一次世界大戦期におけるイギリス陸軍の航空部隊である。1912年に設立され、大戦を通じて重要な役割を果たした後、1918年に王立海軍航空隊と統合され、イギリス空軍が創設された。
歴史[編集]
設立と初期[編集]
20世紀初頭、航空技術の急速な発展は、各国軍にその潜在的な軍事利用を認識させた。イギリスも例外ではなく、陸軍と海軍双方で航空機を用いた偵察や観測の可能性が議論されていた。
このような背景の中、1912年4月13日、勅許によってイギリス陸軍航空隊が正式に設立された。これは、それまで陸軍工兵隊の一部として存在していた気球部隊と、新設された飛行機部隊を統合したものであった。当初、RFCは軍事航空学校、中央飛行機工場、航空大隊(陸軍航空隊飛行隊と海軍航空隊飛行隊からなる)の3部門で構成されていた。設立当初の主な目的は、偵察、砲兵観測、および航空写真撮影であった。
第一次世界大戦[編集]
1914年8月に第一次世界大戦が勃発すると、RFCはイギリス海外派遣軍(BEF)の一部としてフランスに派遣された。開戦当初、RFCはわずか4個飛行隊、約60機の航空機しか保有していなかったが、その任務は多岐にわたった。初期の重要な任務の一つは、ドイツ軍の動向に関する情報収集であった。RFCの航空機は、マルヌの戦いやイープルの戦いにおいて、敵軍の移動や配置に関する貴重な情報を提供し、連合軍の作戦立案に貢献した。
戦争が進むにつれて、航空機の役割は偵察や観測にとどまらず、戦闘、爆撃、地上部隊への支援へと拡大していった。ドイツ軍のフォッカー E.Iに代表される武装偵察機が登場すると、RFCも航空戦力の増強と発展を余儀なくされた。RFCは、SE.5a、ソッピース キャメル、ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー BE.2など、数多くの新型航空機を導入し、空中での優位を確保しようとした。
また、RFCは航空写真撮影の技術を飛躍的に発展させた。彼らが撮影した航空写真は、詳細な地形情報や敵の陣地に関する情報を提供し、ソンムの戦いやパッシェンデールの戦いのような大規模な地上戦において、連合軍の戦略立案に不可欠なものとなった。
戦争中、RFCは急速にその規模を拡大させた。1914年には数百人規模であった隊員数は、1918年には約30万人にも達し、数千機の航空機を運用する巨大な組織へと変貌を遂げた。この急速な拡大は、パイロットや整備士の育成、新型機の導入、そして補給体制の構築など、RFCに多大な課題をもたらした。にもかかわらず、RFCの隊員たちは勇敢に戦い、数多くの「エース・パイロット」を生み出した。
しかし、RFCのパイロットたちは極めて危険な任務に従事しており、その損耗率は非常に高かった。特に、1917年4月には「血の4月」と呼ばれる激しい航空戦が繰り広げられ、RFCは多くの航空機とパイロットを失った。
イギリス空軍への統合[編集]
第一次世界大戦を通じて、航空戦力の重要性が増すにつれて、陸軍航空隊と海軍航空隊を統合し、独立した空軍を創設するという構想が浮上した。1917年、ドイツ軍によるイギリス本土空襲の脅威が高まる中、ヤン・スマッツ将軍による報告書が提出され、陸海軍の航空部隊を統合する必要性が強調された。
この提言を受け、1918年4月1日、イギリス陸軍航空隊と王立海軍航空隊は統合され、イギリス空軍(RAF)が設立された。これにより、RFCはその役割を終え、イギリス空軍の礎となった。
組織と装備[編集]
RFCの組織は、設立当初は比較的小規模であったが、第一次世界大戦の勃発とともに急速に拡大した。基本単位は「飛行隊(Squadron)」であり、各飛行隊には通常12機から18機の航空機が配備されていた。複数の飛行隊が集まって「航空団(Wing)」を形成し、さらに複数の航空団が「旅団(Brigade)」を形成した。
RFCが運用した主な航空機には、以下のようなものがある。
- 偵察・観測機
- ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー BE.2:大戦初期の主力偵察機。安定性に優れていたが、速度と機動性に劣った。
- アームストロング・ホイットワース F.K.8:信頼性の高い汎用機。
- 戦闘機
- エアコー DH.2:初期の推進式戦闘機。
- ニューポール 17:フランス製の優れた戦闘機で、RFCでも広く使用された。
- ソッピース パップ:初期の優れた単座戦闘機。
- ソッピース キャメル:大戦後期に活躍した代表的な戦闘機。優れた機動性を持つ。
- SE.5a:高性能な戦闘機で、キャメルとともにRFCの主力戦闘機となった。
- 爆撃機
- ハンドレページ O/400:大型の双発爆撃機。
- ヴィッカース Vimy:戦後に開発されたが、戦争末期には試作機が運用された。
訓練[編集]
RFCのパイロット訓練は、大戦の進行とともにその重要性を増した。初期の訓練は比較的短期間であったが、戦術の発展と航空機の高性能化に伴い、より専門的かつ実践的な訓練が求められるようになった。訓練生は、初等訓練学校で基本的な飛行技術を習得した後、高等訓練学校で空中戦術、爆撃、偵察などの専門的な訓練を受けた。また、地上での座学も重要視され、航空機の構造、気象学、航法などの知識が教授された。
功績と遺産[編集]
イギリス陸軍航空隊は、第一次世界大戦におけるイギリスの軍事作戦において、極めて重要な役割を果たした。彼らの偵察活動は、敵の動向に関する貴重な情報を提供し、連合軍の戦略立案に不可欠であった。また、彼らの砲兵観測活動は、地上部隊の砲撃精度を飛躍的に向上させた。さらに、航空戦においてドイツ軍航空隊と激しい戦いを繰り広げ、連合軍の制空権確保に貢献した。
RFCの経験と教訓は、その後のイギリス空軍の発展に大きな影響を与えた。彼らが培った航空戦術、パイロット訓練、航空機開発のノウハウは、第二次世界大戦におけるバトル・オブ・ブリテンでの成功にも繋がるものであった。
RFCは、わずか6年という短い期間しか存在しなかったが、その間にイギリスの軍事航空の基礎を築き、現代の航空戦における多くの原則を確立した。彼らの勇敢な精神と献身は、今日でもイギリスの軍事航空史において高く評価されている。
豆知識[編集]
- RFCのモットーである「Per Ardua ad Astra」は、ラテン語で「逆境を乗り越えて星へ」という意味であり、現在のイギリス空軍のモットーとしても引き継がれている。
- 第一次世界大戦中、RFCのパイロットは「空の騎士(Knights of the Air)」と呼ばれることがあった。
- RFCのパイロットたちは、様々な迷信や儀式を信じていたことで知られている。例えば、出撃前に特定の服を着たり、特定の行動をしたりするなどである。