アンヘル・アグスティン・マリア・カルロス・ファウスト・マリアーノ・アルフォンソ・デル・サグラド・コラゾン・デ・ヘスス・ララ・イ・アギーレ・デル・ピーノ
アンヘル・アグスティン・マリア・カルロス・ファウスト・マリアーノ・アルフォンソ・デル・サグラド・コラゾン・デ・ヘスス・ララ・イ・アギーレ・デル・ピーノ(スペイン語: Ángel Agustín María Carlos Fausto Mariano Alfonso del Sagrado Corazón de Jesús Lara y Aguirre del Pino、1897年10月30日 - 1970年11月6日)は、メキシコの作曲家[1]。アグスティン・ララ(Agustín Lara)の名で知られ、「メキシコが誇る大作曲家」と評される[2]。
概要[編集]
代表曲は、グラナダ、ソラメンテ・ウナ・ベス、マリア・ボニータ、ノーチェ・デ・ロンダなど。
未確認作品を含めると生涯に700曲近くを作曲したとされるが、ほとんどの楽曲が女性と酒にまつわるものである[1]。
略歴[編集]
1897年にメキシコベラクルス州トラコパルタンに産まれる[1]。
メキシコシティーで育ち、10代のころからピアノ弾きとして、時には怪しげな店でも演奏した[1]。同時に多くの女性と浮名を流した[1]。ララは、生涯に10回も結婚と離婚を繰り返すことになる[1]。作曲家としての処女作も、女性に捧げた行進曲だったとされる[1]。
ララの作曲は、ほぼ独学であり、当時メキシコで流行していたキューバ発祥のボレロ、ハイチ発祥のハバネラ、タンゴ、フォックストロットといった様々な音楽の形式を自作に取り入れた[1]。
34歳のときにスペインアンダルシアの都市・グラナダをテーマに「まだ見ぬ国の古都」へのあこがれとして「グラナダ」を作曲する[1]。グラナダの街の魅力と、グラナダの混血女性の美しさを歌い上げたこの曲は、メキシコだけに留まらず、スペインでも評判となり、当時のフランコ独裁政権から評されて、グラナダに屋敷を下賜されることにもなった[1]。なお、この時点でララはスペイン未踏であった[1]。