ねずみっ子クラブ

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

ねずみっ子クラブ(ねずみっこクラブ)は、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から生まれた10人組女性アイドルユニット[1]。同番組のコーナーの1つ「セクシー小学生コンテスト」[注釈 1]の出場者の中からメンバーが選抜され[1]秋元康のプロデュースのもと1992年平成4年)デビュー。

概要[編集]

命名の由来は、秋元が以前にプロデュースしたおニャン子クラブ[3]。「猫に続くものはねずみだろう」という安直な発想[4]。生みの親は過激なプロデューサーとして知られる伊藤輝夫。宮崎勤の事件にヒントを得て仕掛けた企画である[5]。なお、1993年前後にはブルセラ文化の隆盛もあり、食べごろのギャルの年齢がJDからJKにシフトしたことを憂う報道の中で「日本ってアブナ~イ!」[注釈 2]と言及されたこともある[6]。これまでアイドルのファン層だった中学生・高校生が早いうちに洋楽やロックに流れてしまうので小学生をターゲットにした、これも自然な流れだという趣旨のポニーキャニオンのスタッフによる発言が残っている[1]。『生ダラ』の大井紀子プロデューサーは「子供が加わることでザラついた雰囲気が和むという大人の側の計算がある。テレビに出れば人気者になれると単純に考える子が増えたのも事実」と述べる[7]

沿革[編集]

1993年1月15日、デビューイベントを行う。「ねずみ算がわかりません」「ランドセル」の2曲を披露。会場からは「誘拐したい」などという発言も飛び出す[5]。「ねずみ算がわかりません」の歌詞はずいぶんと大人びた過激なもので、しかも彼女たちの衣装はバニーガールを連想させる体にフィットしたもの[注釈 3]。これらの要素が世のお父さんお母さんたちに嫌悪感を与えたのか、オリコンチャートは最高43位というビミョーな結果に終わった[4][注釈 4]。1993年3月には彼女たちを「アイドル予備軍」と位置付ける報道もあった[8]

セカンドシングルは「先生! 鈴木くんがエッチなんです!」。こちらはオリコンチャート最高99位[4]。カップリングは「パパと結婚したかった」。買うには勇気のいる曲名だ[9]

2枚のCDシングルをリリースし、1993年(平成5年)解散。チャイドルブームが始まるのは1995年頃。時代を先取りしすぎていたのがこのグループの敗因だったという分析もある[10][9]

メンバー[編集]

  • 出席番号1番 山本麻樹
  • 出席番号2番 則松奈津子(伊藤なつ
  • 出席番号3番 則松加奈子(伊藤かな) - 奈津子と加奈子は双子で「なつ・かな」として活動。その後なつは引退。
  • 出席番号4番 植可澄美(仲根かすみ
  • 出席番号5番 東里(東さと
  • 出席番号6番 山崎亜美 - ヌード写真集を発売し途中脱退した。
  • 出席番号7番 森井園子 - 1980年4月15日、神奈川県生。A型。160cm、42kg。79-58-80。レコード会社:ポニーキャニオン。解散コンサートを伝える「生ダラ」の動画によるとフィリピーナである[注釈 5]
  • 出席番号8番 井上恵美子
  • 出席番号9番 宮澤寿梨
  • 出席番号10番 中島千晶(中島ちあき
  • 国本舞子 - グループ結成時にはメンバー、その後脱退[12]

テレビ[編集]

  • とんねるずの生でダラダラいかせて!!(1992年 - 1993年、日本テレビ

雑誌[編集]

  • 週刊SPA!(1993年1月20日号)- グラビアページに10人が写っている。やはりメンバー総数は10人で正しいようだ。 
  • Sexy LOOK(1993年5月号)
  • Myojo 明星 (1993年4月号)

CD[編集]

発売日 タイトル c/w オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st 1993年1月21日 ねずみ算がわかりません
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:富田素弘
ランドセル
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:富田素弘
43位
2nd 1993年4月28日 先生! 鈴木くんがエッチなんです!
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
パパと結婚したかった
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:富田素弘
99位

じゅりえみ[編集]

じゅりえみは、井上恵美子と宮澤寿梨によって2024年に結成されたユニット。

久しぶりに二人で飲んでいるときに、寿梨はあまり深く考えずに「またステージに立つ?」と口にしたのがすべての起点。恵美子も、初めは冗談かと思ったが、寿梨の目の輝きに本気を感じ取り、誘いに乗る。ユニット名は「JUDY AND MARYみたいだから、“ジュリエミ”がいいんじゃない?」と、焼き鳥屋で決定[2]

2025年7月現在、「流しのじゅりえみ」として飲食店などに突然出現し、曲を披露している。公式SNSは恵美子の子供たちに教えてもらいながら運用[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 正式には「セクシー小学生ゴングショー」[2]
  2. いや、そんなことは分かっている
  3. ウサ耳ならぬネズ耳のついたオリジナルデザイン
  4. ん、この種のCDを買うのはお父さんお母さんではなく、同年代の子供か少し成長したオタクではなかろうか?
  5. メンバーそれぞれの手書きのメッセージが画面に表示されたが、他のメンバーを消去法で除外すると「S・M フィリピーナより」と書いたのが彼女[11]

出典[編集]

  1. a b c 二居, 前田 1993, p. 37.
  2. a b c 髙坂 2025.
  3. 秋元康「現代タレント像 ねずみっ子クラブ「ニュージャパニーズの襲来」」、『月刊アドバタイジング』第38巻第1号、電通、1993年、 74-76頁、 doi:10.11501/2262128
  4. a b c 松庭直 (2016年10月23日). “秋元康の黒歴史!? アイドルグループ「ねずみっ子クラブ」”. news.livedoor.com. 2024年6月8日確認。
  5. a b 「平均年齢10歳のセクシー小学生!!大人に挑戦」、『Sexy LOOK』第11巻第3号、サン出版、1993年NDL00039451
  6. 横森理香「『高校教師』日本の将来を暗示する〝純愛ドラマ〟」、『週刊現代』第35巻第14号、講談社、1993年4月10日、 177頁、 doi:10.11501/3372749
  7. “子役活躍の理由は? 番組の雰囲気和む 母親の芸能界志向も”. 読売新聞: p. 9. (1993年6月3日 
  8. “[ポップスNOW] 実力本位よ! アイドル像破れ!グループで女性タレント養成”. 毎日新聞: p. 13. (1993年3月11日 
  9. a b バーグマン田形 (2017年7月11日). “黒歴史? 秋元康が見誤ったアイドルグループとは”. excite.co.jp. 2024年6月8日確認。
  10. 元ねずみっ子クラブ・東さと 2月に第1子女児を出産していた”. tokyo-sports.co.jp (2020年3月30日). 2024年6月8日確認。
  11. 井上恵美子 (2024年4月20日). “昔の動画を探してたら、こんなのみっけ笑”. Instagram. 2025年9月6日確認。
  12. 宇治末裔. “惜しまれる原石 国本舞子”. 日本の輝く小さな星たち. 2023年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月13日確認。

参考文献[編集]