さんま寿司 (下田市)

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さんま寿司(さんまずし)は、静岡県下田市白浜地域(旧・白浜村)の郷土料理[1]サンマを用いた押し寿司である[1]

概要[編集]

サンマを甘酢で締めた押し寿司であり、下田では11月初旬から5月初旬を旬として食されている[1]

白浜地域では秋の祭り、御祝いの席には欠かせない料理となっている[1]。各家庭でも作られており、その味付けや調理法は各家庭で代々引き継がれ、それぞれに微妙に異なっている[1]

伊豆急下田駅などでは「あぶりさんまの棒寿司」として駅弁にもなっている。

作り方の例[編集]

  1. サンマを背開きにし塩を振って、半日ほど干す[2]
  2. サンマの小骨を取り、酢に漬ける[2]
  3. 酢飯を覆うようにサンマで包む[2]

歴史[編集]

静岡県下田市白浜地域には、以下のような伝承がある[1]

室町時代に凶作の年が続き、飢饉となった際に、白浜神社の神職が伊豆諸島の神々に恵みを祈ったところ、浜に無数のサンマが打ち寄せた。

神職は炊いた米飯の上にサンマをのせて、人々に振る舞った。

以来、白浜では秋の例大祭で「サンマの炊き込み飯」を食する習わしとなった。

幕末期の1853年に現在の下田市で反射炉の建造が始まった。しかし、翌1854年安政元年)、下田に入港したアメリカ合衆国マシュー・ペリー艦隊の水兵が反射炉の敷地内に侵入しことから、反射炉は現在の伊豆の国市韮山へと移設されることになった(これが、後に韮山反射炉と呼ばれるようになる)。

この移設作業を引き受けたのが、博徒の「伊豆の陶蔵」[1][2]。移設ルートは天城峠を越える天城越えと呼ばれる難所であり、作業には大勢の人夫が参加することになる[1][2]。陶蔵は「サンマの炊き込みご飯」をヒントに「サンマのおにぎり」を考案し、人夫の食糧とした[1][2]。作って数日経ったサンマのおにぎりは酸味を帯びてしまったが、これがえもいわれぬ風味を醸し出していた[1][2]。以降、味付けに甘酢を使うようになり、押し寿司風のさんま寿司が生まれた[1][2]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k さんま寿司”. あなただけの下田旅. ​下田市観光協会. 2026年4月1日確認。
  2. a b c d e f g h 「さんま寿司」『伊豆さんぽ』 交通新聞社、2015年、93頁。ISBN 978-4330519142