お玉が池
お玉が池(おたまがいけ)は、かって現在の岩本町付近にあった江戸時代の池である。 「於玉ヶ池」とも書かれる。
概要[編集]
旧名は「桜ケ池」と呼ばれていた。お玉という美女が身投げしたという伝説が名前の由来である。お玉が池は上野の不忍池より大きかったと言われ、池の周囲に柳が植えられ、桜が咲き、江戸城も見えたという。『柳森神社略誌』に「江戸の町の発展に依り、此の沼地も埋立て、寺地や宅地となった」と書かれるとおり、江戸時代に埋め立てられた。『江戸名所図会』にお玉稲荷という祠ありと記載されている。現在、繁栄お玉稲荷神社境内に解説版がある。
東京都指定旧跡[編集]
東京都指定旧跡としては「お玉が池」とされる[1]。 1924年(大正13年)2月5日に仮指定となり、1942年(昭和17年)9月に仮指定が解除された。1952年(昭和27年)4月1日に史跡指定され、1955年(昭和30年)3月28日に旧跡指定された[2]。
お玉が池種痘所[編集]
岩本町3丁目の交差点付近にお玉が池種痘所の記念碑がある。蘭方医の伊東玄朴らが1858年(安政5年)開設した西洋式医学所である。3年後に幕府の機関となり西洋医学所、医学所と名前を変え、大学東校から東京大学医学部の前身のひとつとなった。
神奈川県のお玉が池[編集]
神奈川県にもお玉が池がある。伝説では、江戸に奉公に出ていた百姓の娘のお玉が、箱根関所で裏山を抜けようとして役人に見つかり、打ち首獄門で処刑されたという伝説に由来する池とも言われる。お玉が池に幽霊が出ると言われる。神奈川県箱根町にある池はダム付近の心霊スポットである。箱根のお玉が池は現存しており、その湖畔に「お玉ヶ池石碑」(〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根)がある。
神田お玉ヶ池の千葉道場[編集]
1822年(文政五年)に千葉周作は剣道場を品川町(現日本橋室町一丁目)に開き、その後神田お玉ヶ池に移転した。「玄武館」と名付けられたこの道場は、江戸三大道場の一つに数えられた。山岡鉄舟、千葉栄次郎、海保帆平、森要蔵、井上八郎、清河八郎、山南敬助などの門人がいた。