あんどろトリオ
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1982年1・2号から1982年46号まで連載された。
2021年には太田出版より、雑誌連載当時のページ構成を完全復元し、資料ページを追加した『あんどろトリオ 完全復刻版』が刊行された[1]。
執筆の背景[編集]
日本では、1970年代末のSFブームに端を発し、変則的に発生した「美少女ブーム」が起こっており、1980年代になるとマニアックな漫画読者の中で「ロリコン」ブームが沸き起こっていた[1]。
『週刊少年チャンピオン』は、1970年代に壁村耐三が編集長となり黄金期を築いていたが、1980年代になると人気は低迷することになっていた。病魔に倒れた壁村がったん編集長を辞任し、『週刊少年チャンピオン』のテコ入れを任され後任の編集長となったのが阿久津邦彦である[1]。
1981年の夏、阿久津は、当時既にいろんなエロ劇画誌で仕事をしていた内山に電話で執筆依頼を行った[1]。内山はチャンピオンをエロ劇画誌の1つと思い、執筆スケジュール多忙を理由に、この電話依頼を断る[1]。その翌日、阿久津は内山の自宅を訪れ、執筆を再依頼してきた[1]。この当時、内山は作品の中で自宅の住所を記していたということもあった[1]。
こうして執筆は決まり、作品案を練る内山であったが、エロ漫画以外では何を書いてよいのかわからず試作した作品は、内山自身にもイマイチであれば、阿久津も眉をひそめるデキであった[1]。切羽詰まった内山が「エロマンガ描いてもいい?」と聞いたところ、阿久津は内山が拍子抜けするほど簡単に承諾する[1]。驚いた内山であったが、エロ漫画をそのまま少年誌に掲載させるわけにも行かず、内山が好きだった吾妻ひでおのようにギャグ漫画でならエロ度も中和できるのではないかと考え、エロ漫画か少年漫画かわけの分からない本作ができあがった[1]。
手塚治虫とあんどろトリオ[編集]
同時期に手塚治虫は『週刊少年チャンピオン』で『プライム・ローズ』の連載を行っている[1]。『プライム・ローズ』は阿久津からの「(前連載の『七色いんこ』よりも)読者の対象年齢を下げた少年漫画にして欲しい」という編集方針からできた作品である[1]。
手塚に「少年誌らしい作品への回帰」を求め、当時のロリコンマンガ界の第一人者である内山には型破りな美少女マンガの執筆を依頼するという極端に大きな振幅の誌面によって、阿久津には『週刊少年チャンピオン』を再び活性化させようという狙いがあったのではないかとみられている[1]。
また、『週刊少年チャンピオン』1982年10月15日号に掲載された「あんどろトリオ」の扉絵は、『プライム・ローズ』の主人公・エミヤを内山が描いたものとなっている[1]。
文化の中のあんどろトリオ[編集]
- 『ばくおん!!』(おりもとみまな) - 単行本10巻77ページに、1980年代にタイムスリップした登場人物が街中を走行中、学生が書店の店頭で雑誌を立ち読みし「あんどろトリオのつかさちゃんが最高だよ」と言うシーンがある。
- 『性別が、ない!』(新井祥) - 単行本15巻69ページ「ショータイム①」にて、「自分が10代・20代の頃に影響を受けた作品」としてとり・みき、『エロイカより愛をこめて』(青池保子)、モンティ・パイソンと並んで本作が挙げられている。