MiG-9

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MiG-9(ミグ9、ロシア語: МиГ-9)は、ソビエト連邦ミコヤン・グレヴィッチ設計局が開発した初期のジェット戦闘機である。NATOコードネームは「ファーゴ (Fargo)」。ソ連初のジェット戦闘機のひとつとして知られ、MiG-15などの後続機の開発に繋がる重要な位置を占める。

開発経緯[編集]

第二次世界大戦末期から終結後にかけて、各国でジェット機の開発が急速に進められていた。ソビエト連邦も例外ではなく、ドイツから獲得したJumo 004BMW 003などのジェットエンジンを参考に、国産ジェットエンジンの開発と並行してジェット戦闘機の開発を進めていた。

ミコヤン・グレヴィッチ設計局は、1945年2月には単座ジェット戦闘機の設計を開始し、当初は「I-300」の名称で開発が進められた。機体の設計にあたっては、ドイツの技術が大きく参考にされており、特にエンジン配置や機体構造にはその影響が見られる。主翼は直線翼で、胴体内部に2基のエンジンを搭載するというユニークな配置が特徴であった。これは、当時のエンジン推力が不足していたため、複数エンジンを搭載する必要があったこと、また機首に大型の機銃を搭載するスペースを確保するためでもあった。

最初の試作機は1946年4月24日に初飛行に成功した。この初飛行は、ソ連国産ジェット機としては、Yak-15と同日に行われたもので、ソ連のジェット時代到来を告げる重要な出来事となった。試験飛行の結果、いくつかの問題点が指摘されたものの、全体としては良好な性能を示したため、直ちに量産が決定された。

機体[編集]

MiG-9は、全金属製の単葉機である。主翼は直線翼で、胴体の中央下部に2基のツマンスキー RD-20(Jumo 004のソ連生産型)ターボジェットエンジンを並列に搭載している。このエンジン配置は、排気ガスが主翼下面に直接当たるため、後に排気ノズルを延長するなどの改修が行われた。

武装は、機首に1門のN-37 37mm機関砲と、左右の主翼付け根に2門のNS-23 23mm機関砲を装備していた。37mm機関砲の薬莢は機体下部の薬莢シュートから排出されるようになっていたが、初期にはこのシュートから排出された薬莢がエンジンに吸い込まれるという事故も発生したため、改修が施された。

コックピットは与圧されておらず、当時のジェット機としては一般的な設計であった。着陸装置は、前輪式の引き込み脚を採用していた。

運用[編集]

MiG-9は、1946年にソ連空軍に採用され、配備が開始された。初期の量産型は様々な問題点を抱えていたが、改良が続けられ、改良型のMiG-9Mも開発された。しかし、急速な技術進歩により、MiG-9はすぐに旧式化してしまった。特に、より高性能な後退翼を持つMiG-15が登場すると、その優位性は揺るぎないものとなった。

MiG-9は、ソ連国内での運用期間は短かったが、一部は中国人民解放軍空軍にも供与され、朝鮮戦争初期には訓練用として使用された。しかし、実戦での本格的な運用はほとんどなく、主にジェット機の運用技術確立のための機体として貢献した。総生産数は610機とされる。

派生型[編集]

  • I-300:MiG-9の試作機名称。
  • MiG-9:初期生産型。
  • MiG-9M:エンジンをRD-21に換装し、武装を強化した改良型。一部が生産された。
  • MiG-9UTI:複座練習機型。少数が生産された。
  • I-301:MiG-9の改良型計画。開発中止。

豆知識[編集]

  • MiG-9は、ソ連の初期ジェット戦闘機の中でも特に、ドイツのジェット技術の影響を強く受けていることで知られている。
  • 本機はジェットエンジンを胴体内に二基搭載するという珍しい配置をとっていたため、排気炎が主翼下面に当たるという問題が発生した。これにより、飛行中に主翼下面の塗装が剥がれるなどの現象が見られた。

関連項目[編集]

  • Yak-15 - 同時期に開発されたソ連の初期ジェット戦闘機。
  • Me 262 - ドイツのジェット戦闘機。MiG-9開発に影響を与えたとされる。
  • MiG-15 - MiG-9の後継機。

参考文献[編集]

  • 『世界の傑作機 No.155 MiG-9/MiG-15』文林堂、2013年。
  • Yefim Gordon, "Mikoyan-Gurevich MiG-9: The Soviet Union's First Jet Fighter" Hikoki Publications, 2012.