マッキ MC.202 フォルゴーレ

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

マッキ MC.202 フォルゴーレ(Macchi MC.202 Folgore)は、第二次世界大戦中にイタリアで開発・製造された単座戦闘機である。その流麗な外観と優れた飛行性能で知られ、イタリア空軍の主力戦闘機の一つとして各戦線で活躍した。機体名の「フォルゴーレ(Folgore)」は、イタリア語で「雷光」を意味する。

開発[編集]

MC.202の開発は、1939年に開始された。当時のイタリア空軍の主力戦闘機であったマッキ MC.200 サエッタは、優れた運動性を持つ一方、エンジン出力の不足と固定脚の採用による空気抵抗の大きさが問題視されていた。特に、高性能な液冷エンジンを搭載した連合国側の新型機に対抗するため、より高速で高高度性能に優れた機体の開発が急務とされていた。

設計主任は、MC.200の設計も手掛けたマリオ・カストルディ技師であった。彼は、ドイツから輸入したダイムラー・ベンツ DB 601液冷エンジンのライセンス生産版であるイソッタ・フラスキーニ社のアルファロメオ RA.1000 RC.41 モンスーネ(軸出力1,175 馬力)の搭載を決定した。このエンジンは、それまでのイタリア製空冷エンジンと比較して大幅な出力向上をもたらし、機体の性能向上に大きく貢献することが期待された。

MC.200の主翼や胴体構造を流用しつつ、エンジンの換装に合わせて機首を再設計し、引込脚を採用するなど、大幅な改修が加えられた。この結果、MC.200の持つ優れた運動性を維持しつつ、速度と上昇性能を大幅に向上させた機体が誕生した。試作機は1940年8月10日に初飛行し、良好な飛行性能を示した。

機体[編集]

MC.202は、全金属製の低翼単葉機であり、胴体は応力外皮構造、主翼は二桁構造であった。外観は全体的に滑らかな曲線で構成され、特に流麗な機首から胴体にかけてのラインが特徴的であった。これは、当時設計された他のイタリア製戦闘機、例えばレジアーネ Re.2000フィアット G.50などと比較しても際立っていた。

武装は当初、機首に12.7 mmブレダ-SAFAT機関銃2挺を装備していたが、一部の型では主翼に7.7 mmブレダ-SAFAT機関銃2挺が追加された。しかし、当時の連合国側の戦闘機と比較すると、火力不足が指摘されることが多かった。

生産と運用[編集]

MC.202は、1941年からイタリア空軍に配備が開始された。主に北アフリカ戦線地中海戦線東部戦線など、多岐にわたる戦線で運用された。特に北アフリカ戦線では、イギリス空軍ホーカー ハリケーンスーパーマリン スピットファイアなどと対峙し、その運動性と速度で互角以上の戦いを繰り広げた。

パイロットからは、その優れた運動性と操縦性から「最高のイタリア戦闘機」と評されることもあった。特に急降下性能と水平加速性能は優秀であり、高速での離脱戦術を得意とした。しかし、前述の通り火力不足に加え、高高度性能の限界や無線機の性能不足など、いくつかの課題も抱えていた。

生産はアエルマッキ社を中心にブレダ社やSAI アンブロシーニ社などでも行われ、総生産数は約1,100機に上るとされる。しかし、イタリアの工業力の限界から、必要とされる機数を十分に生産することは困難であり、常に機体数の不足に悩まされた。

1943年のイタリアの降伏後、MC.202はイタリア共同交戦空軍イタリア社会共和国空軍の双方で運用され続けた。戦後も1948年頃まで練習機などとして使用された。

派生型[編集]

  • MC.202:初期生産型。
  • MC.202EC:一部の機体で主翼に20 mm MG 151機関砲を搭載できるよう改造された型。火力不足を解消するための試みであったが、生産数は限定的であった。
  • MC.202AS:砂漠地帯での運用を考慮し、ダストフィルターを装備した型。
  • MC.202CB:胴体下に爆弾または増槽を搭載可能とした型。

性能諸元 (MC.202)[編集]

豆知識[編集]

MC.202は、イタリアの優れた航空機設計技術とドイツの高性能エンジンが組み合わさった結果生まれた機体と言えるでしょう。その流麗なデザインは、多くの航空愛好家を魅了し続けています。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]