兵員輸送車 Kfz.70 クルップ・プロッツェ

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兵員輸送車 Kfz.70 クルップ・プロッツェは、第二次世界大戦中にドイツ国防軍で使用されたクルップ・プロッツェシリーズの主要な派生型である。この車両は、その独特なボンネット形状と優れた不整地走破性により、戦争初期から中期にかけてドイツ軍の機動力を支える重要な役割を果たした。

概要[編集]

クルップ・プロッツェは、ドイツクルップ社が開発した6輪駆動の多目的トラックであり、その名の「プロッツェ(Protze)」は「頑丈な」あるいは「ごつごつした」といった意味を持つ。Kfz.70は、このシリーズの最も一般的な派生型であり、主に兵員輸送に使用された。

Kfz.70は、前方に傾斜した特徴的なボンネットと、後部の兵員室が一体となった構造を持つ。兵員室にはベンチシートが設けられ、運転手を含め最大10名の兵員を輸送することが可能であった。不整地における高い走破性を確保するため、6輪全てが駆動する全輪駆動(6x4)方式を採用していた点が特筆される。独立懸架式のサスペンションと相まって、劣悪な路面状況でも安定した走行性能を発揮した。

開発と生産[編集]

クルップ・プロッツェの原型は、1930年代初頭にドイツ軍の再軍備計画の一環として開発が始まった。1933年に最初の生産型がロールアウトし、Kfz.70型はその中でも最も大量に生産されたタイプであった。生産は1942年まで継続され、総計で約7,000両が製造されたとされている。

初期の生産型では排気量3.3リットルの空冷エンジンが搭載されていたが、後にクルップM304型4気筒液冷ガソリンエンジンに換装され、出力は60馬力に向上した。このエンジンにより、整地で時速70km、不整地でも比較的高い速度での走行が可能となった。

運用[編集]

兵員輸送車 Kfz.70 クルップ・プロッツェは、ポーランド侵攻フランス侵攻バルカン戦役、そして独ソ戦における東部戦線など、第二次世界大戦のあらゆる主要戦線で運用された。特に、ドイツ軍の電撃戦を支える機動歩兵部隊の迅速な展開に貢献した。

歩兵部隊の輸送だけでなく、Kfz.69型が牽引車両として対戦車砲などを牽引したのと同様に、Kfz.70も軽火砲やトレーラーの牽引にも用いられることがあった。また、車体後部にMG34またはMG42機関銃を搭載するためのマウントが設けられ、自衛用の火力として運用されることもあった。

しかし、戦争が長期化し、より大型で装甲化された半装軌車両が登場すると、Kfz.70の兵員輸送における重要性は相対的に低下していった。特に、ソ連の厳しい気候条件と広大な不整地では、より堅牢で整備の容易な車両が求められるようになった。それでも、終戦まで第一線で運用され続けた車両も少なくなかった。

派生型[編集]

Kfz.70以外にも、クルップ・プロッツェには様々な派生型が存在した。

  • Kfz.69:主に3.7 cm PaK 36対戦車砲を牽引するために使用された砲兵トラクター型。
  • Kfz.68:通信車両。
  • Kfz.19:電話線敷設車両。
  • Sd.Kfz.247:偵察装甲車。クルップ・プロッツェのシャーシを流用した非装甲の偵察車両で、一部が装甲化されたものもあった。

豆知識[編集]

  • クルップ・プロッツェの独特な傾斜したボンネットは、視界を確保しつつエンジンルームの容積を最大限に活用するための設計だったと言われている。
  • ドイツ国防軍の兵士たちは、この車両を親しみを込めて「プロッツェ」と呼んでいた。
  • 戦後、一部のクルップ・プロッツェは、民生用に転用され、農業機械や小型トラックとして使用された例もある。

関連項目[編集]

参考書籍[編集]

  • 田村尚也・東郷隆 『クルップ・プロッツェ徹底解剖』大日本絵画、2005年。
  • 菊池征。『ドイツ軍用車両図鑑 1939-1945』学習研究社、2008年。