61式戦車

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テンプレート:戦車 61式戦車(ろくひとしきせんしゃ[1])は、日本陸上自衛隊が運用していた戦後第1世代戦車に分類される戦後初の国産戦車である。

暗視装置[編集]

61式戦車の暗視装置は、陸上自衛隊の主力戦車である61式戦車に搭載された夜間戦闘用の光学機器である。主に1950年代後半から1960年代後半にかけて開発されたアクティブ型赤外線暗視装置で、正式名称は、操縦者用は63式操縦用暗視装置I型(ろくさんしきそうじゅうようあんしそうちいちがた)と砲手・車長用は69式照準用暗視装置(ろくきゅうしきしょうじゅんようあんしそうち)と呼ばれる。標準型の61式戦車には搭載されておらず、後期の改良型である61式戦車(B)(夜戦仕様)に限定して装備された。

この装置は、冷戦期の防衛力強化の一環として、夜間作戦能力の向上を目的に導入された。主に第2戦車大隊(後の第2戦車連隊)の夜戦中隊で運用され、74式戦車への更新に伴い、1980年代までに大部分が退役した。

なお、61式戦車の暗視装置に関する詳細情報は非公開である。

63式操縦用暗視装置I型[編集]

63式操縦用暗視装置I型(ろくさんしきそうじゅうようあんしそうちいちがた)は、陸上自衛隊の61式戦車に搭載されることを目的として開発された、操縦手専用の暗視装置である。主に夜間操縦支援、車体前方視認を目的とするアクティブ式赤外線暗視装置として、1963年(昭和38年)に制式採用された。

開発経緯[編集]

61式戦車は1961年に制式化されたが、当初は夜間戦闘能力が不足していた。冷戦期のソ連軍の夜間作戦能力向上に対抗するため、操縦手用暗視装置の開発が進められた。

遡って、1950年代から技術研究本部(TRDI、現・防衛装備庁)では、赤外線暗視技術の基礎研究に着手。警察予備隊時代に米軍から供与されたM1カービン用「特殊照準装置」(赤外線型)を参考に、国産化が進められた。


ゆえに、61式戦車の暗視装置は、歴史を遡ると、米軍を間接的に経由して、第二次世界大戦末期のナチスドイツのIR技術に由来する。

  • ヴァンピール(Vampir)(ZG 1229): StG 44突撃銃用のアクティブIR暗視装置。1944年開発、近IR光を増幅する光電管を使用。視認距離70 m程度、重さ2.3 kg + バッテリー13.6 kg。東部戦線で少数投入され、夜間猟兵(Nachtjäger)により使用。
  • FG 1250(Fahr- und Zielgerät 1250): パンター戦車やSd.Kfz. 251/20 半装軌車(Falke型)用のアクティブIR装置で、夜間走行(Fahr)と照準(Ziel)の両機能を統合した物。1944年開発。視認距離600 m(理想値。実用上は霧/雨で半減)、総重量150 kg超。カール・ツァイス社(Carl Zeiss AG)とAEG社(Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft)が主力で、FG 1250ではZeissの光学系とAEGの電子系を融合させた。戦車・歩兵両用技術の基盤。ライン川防衛戦で初実戦。

※カール・ツァイス社(Carl Zeiss AG)の役割: 光学系(レンズ、照準器、全体設計)の責任を負い、ガートナー技師が1941年頃から開発の中心人物。Zeissはドイツの光学大手として、IRサーチライトとイメージコンバーターを統合。

※AEG社(Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft)の役割: 電子系(イメージコンバーター、電源・増幅管)の開発・製造を担当。AEG社は1930年代後半からIR技術の基礎研究を進めており、1939年の初期プロトタイプ(対戦車砲用)もAEG社製。

これらの技術は、戦後連合軍に鹵獲され、米ソの開発に影響を与えた。

  • M1 Sniperscope(SN-4)(1944-1945年):M1カービン向け狙撃用装置。ウェスチングハウス(Westinghouse)社製、視認距離100-150 m。重量2.3 kg(本体)+13.6 kg(バッテリー)。沖縄戦で使用され、ヴァンピールの技術の直接的影響下にあり、米軍初の暗視実戦装備となった。以降、M3カービン版へ改良。


そして狙撃用暗視装置の研究が本格化し、M1カービン/64式小銃の上部左に装着する、「63式狙撃用暗視装置I型」(ろくさんしきそげきようあんしそうちいちがた)として結実する。

これと並行して、戦車操縦手用の暗視装置も開発され、「63式操縦用暗視装置I型」として採用された。狙撃用と操縦手用では、原理も共通である。日本電気(NEC)が製造。

この装置は、操縦席に特化した設計で、投光器による赤外線照射と受像器による画像増幅を組み合わせた方式を採用している。標準型の61式戦車には搭載されず、後期改修型である61式(B)型を中心に限定的に導入された。

[1] - 63式操縦用暗視装置I型

仕様[編集]

  • 方式: アクティブ式赤外線暗視装置
  • 視認距離: 30 m、水平約30度の視野。携帯式の携帯式の突撃銃用暗視装置が原型なので、投光器の小型化による制約があり、かつ、衝突回避を目的とする操縦用なら視認距離は短くても問題ないので、視認距離は短かった。
  • 構成:
    • 受像機 - 暗視型ペリスコープ(10 ㎏)
    • 高圧電源部(7 kg)
    • 投光器(×2)(車体前部配置) (2.5 ㎏)

この装置は、主砲照準手・車長向けの「69式照準用暗視装置」とは異なり、操縦手のみの視界確保に特化している。画像は緑色の単色表示で、夜間低照度環境下での走行・移動を支援する。

69式照準用暗視装置[編集]

69式照準用暗視装置(ろくきゅうしきしょうじゅんようあんしそうち)は、陸上自衛隊の61式戦車に搭載されることを目的として開発された、砲手・車長用専用の暗視装置である。主に夜間射撃・照準支援を目的とするアクティブ式赤外線暗視装置として、1969年(昭和44年)に制式採用された。

開発背景[編集]

61式戦車は1961年に制式化されたが、当初は夜視装備を備えていなかった。ソ連軍の夜間作戦能力向上に対抗するため、夜間照準システムの開発が急務となった。開発は技術研究本部(TRDI、現・防衛装備庁)主導で行われた。

  • [2] - 暗視装置の試作品を取り付けたSTA-1。時期不明(1968年(昭和43年)よりも過去)。
  • [3] - 1968年(昭和43年)時の試験車両。防盾前面右側の円筒形の受像器(イメージコンバーター)と砲塔後部側面のケーブルに注目。受像機は、STA-1の砲塔上面右側に載っていた物に似ている。
  • [4] - 完成型の61式戦車(B)型。
  • [5] - 69式照準用暗視装置 付図。砲塔内に受像器(イメージコンバーター)があることがわかる。この細長くて小型の受像器を、砲塔前面右側の直接照準孔に繋がる、砲塔内の砲の右側にある砲手用61式直接照準眼鏡(テレスコープ)と交換したものと考えられる。制式採用されたこの受像機は、STA-1で試験された物や、1968年(昭和43年)の試験時の物と異なる。

この装置は、61式戦車の火器管制システムに統合され、照準手と車長の夜間視認を支援する。

限定的な数量(数十輌程度)が生産された。

仕様[編集]

69式照準用暗視装置は、アクティブ型赤外線(IR)方式を採用。投光器で赤外線を照射し、反射光を受像器(イメージコンバーター)で増幅・可視化する仕組みである。受動型(周囲光増幅)ではなく、敵に位置を露呈しやすい欠点があったが、当時の技術水準では画期的なものであった。

構成要素[編集]

  • 投光器(サーチライト): キセノンランプを使用。白色光と赤外線をシャッターで切り替え可能。主砲防盾前面左側に固定される。おそらく74式戦車の投光器(最大照射距離 IR 1 km、白色光 3 km)に準ずる性能だったと推定。61式戦車と74式戦車の投光器は、実質的に同一のもの(または高度に互換性のあるもの)と判断される。
  • 受像器(イメージコンバーター): 照準手および車長用。砲塔内光学機器に統合され、緑色の画像で表示。
  • 電源: 車両電源から直流-直流変換器で供給。投光器点灯と受像器(高電圧が必要)に使用。

性能[編集]

  • 視認距離: 不明
  • 重量: 不明
  • 欠点: 投光器のIR光が敵の暗視装置で検知可能。電力消費が大きい。
  1. 令和6年版防衛白書 第IV部 第1章 第3節 4 新たな防衛装備・技術協力の構築”. 防衛省自衛隊. 防衛省 (2024年7月12日). 2025年4月19日確認。 “ヨルダンとの間では、2019年に陸自の退役済み61(ロクヒト)式戦車1両を無償で貸し付けるとともに、ヨルダン側からヨルダンで開発された装甲車が陸自へ贈呈された。”