10月りゅう座流星群
10月りゅう座流星群とは、周期6.5年のジャコビニ・ツィナー彗星(9P/Giacobini-Zinner)を母天体とする流星群で、かつて2009年に星座名を冠した名称に統一されるまでは「ジャコビニ流星群」とも呼ばれ、だいたい13年ごとに大出現することで知られている。現在でも「ジャコビニ流星群」と呼ぶ人も多い。
1946年に20世紀最大の流星雨を出現させたことで知られ、日本では1972年の大出現の予想で日本中を大騒ぎさせたのに、大きく期待を裏切ったことで有名である。当時は、流星群の出現を正確に予報する方法が確立されておらず、宇宙の謎の一つとされていたが、2000年以降にダストトレール理論が確立し、この流星群の出現状況が明らかになった。特に4次元ダストトレール理論では、1次元理論ではよくわからなかった、母彗星からのダストの放出時期や放出速度、肉眼流星や電波流星が出現するか否か、などがよくわかるようになった。
1913年の出現[編集]
1920年の出現[編集]
1933年の出現[編集]
1946年の出現[編集]
1946年10月10日、アメリカで1時間当たり1000~10000個もの大流星雨が観測された。20世紀最大の流星雨であった。 [1]
この大出現の原因となったのは、19世紀以降のほぼ全てのダストトレールであり、特に母彗星からの最低放出速度が0.9m/sと極めて低速だったため、大量大きなダストが地球に届いて、多数の火球クラスの流星を含む大出現をもたらしたことが判明している。出現のピークは、19世紀のダストトレールと20世紀のダストトレールに大きく分かれていたが、これは母彗星が1898年に木星に接近して軌道が変わったことが影響している。
1952年の出現[編集]
1920年のダストトレールの接近により出現。
1972年の出現[編集]
10月8日の深夜に日本を含む東アジアで好条件で見られると予報され、東京天文台の古畑正秋が大々的に宣伝して、「近づく世紀の宇宙ショー」などと全国的に注目され、空を暗くするために町の街灯が消されたりもした。しかし、実際には日本やシベリアなどからは観測されなかった。電波観測では多くの流星が捕らえられたが、肉眼ではベテラン観測者がわずかな流星を捕らえただけであった[2]。 そのため、東京天文台には、当合わせや抗議の電話が殺到した[3]。その時の様子は、荒井(松任谷)由美の「ジャコビニ彗星の日」にも唄われている[4]。
この時、中野主一は、彗星の降交点通過からの日数と地球との距離の関係から、流星は出ないだろうと予想した[5]。しかし、佐藤勲による4次元ダストトレール理論によって明らかになった真相によれば、この予想はまぐれ当たりでしかなかった。この年の全てのダストレールは、彗星核から水が放出される時の上限速度でも地球に衝突する軌道に乗るのに必要な速度にギリギリでしか達しておらず、多くの肉眼流星が出るはずがなかったのであった。
1985年の出現[編集]
松任谷由美の「ジャコビニ彗星の日」の歌詞にある「淋しくなればまた来るかしら、遠く横切る流星群」を実現した突然の出現であった。10月8日の夕方、まだ薄明中の日本で、予報より早い時間に突如出現した。この大出現の原因となったのは、1900~1940年のダストトレールであったことがわかっている。
1998年の出現[編集]
10月8日の夜、大出現があった。この原因となったのは、1926年のダストトレールの接近であることが判明している。このダストトレールからの最低放出速度は、Xm/sであった。
1999年の出現[編集]
出現するとは考えられていなかったこの年、10月9日の日本時間20時ごろに若干の出現があった。4次元ダストトレール計算によれば、この出現をもたらしたのは1959年と1966年のダストトレールである。
2001年の出現[編集]
10月8日の夕方に多少の出現。1933年のダストトレールの接近が原因だった。
2004年の出現[編集]
2011年の出現[編集]
2018年の出現[編集]
ヨーロッパ方面で出現。1946,1953,1959年のダストトレールの接近が原因。
2024年の出現[編集]
日本時間では10月8日の昼間に出現。1880~1907年のダストトレールが原因だった。
2025年の出現[編集]
日本時間で10月8日に電波観測で多数の流星を記録したが、肉眼流星はわずかだった。電波流星をもたらしたのは、主に2005年と2012年のダストトレール、肉眼流星は1894年のダストトレールが原因とみられる。
2030年の出現[編集]
2031年の出現[編集]
1900~1959年の複数のダストレールの接近により、日本時間で10月6日の夜に出現する予想。期待できる。