麺
麺(めん)は、穀物の粉末を加工した食品。
概要[編集]
「麺」とは何かを定義することは困難である。世界中に「麺」に相当する食品は存在しているが、原材料はさまざまであり、その製法もさまざまである[1]。汎世界的に「麵とはこれこれである」という定義がまとめられないのである[1]。文化人類学者の石毛直道は世界の麵文化を研究するに際して、次のような定義を打ち出し、この定義にしたがって世界の麵文化研究を行った[1]。
麺とは「穀物、マメなどの粉を主原料として、線状に加工した食品であり、原則として、ゆでたり、煮たりして、主食、あるいは準主食的な料理の主材料として食べられるもの」[1]。
もちろん、この定義から外れるような「麺」も世界には存在する[1]。九州で作られている鶏卵素麺の材料は氷砂糖の飽和水溶液と卵黄である。魚そうめんは魚肉練り製品である。
中国の「麺」[編集]
中国では「
中国で「麵食」は、「小麦粉で作った食品」であり、そういった小麦粉食品を食べることを意味する[2]。
日本でいうところの「麵」にあたる、「小麦粉をほそ長く加工した食品」のことは、
「
歴史[編集]
紀元前4000年以前の早期新石器時代、華北平原の淮河流域からはアワを粉にしていた磨り臼が発見されており、粉食としてアワを食していたものと推測される[2]。
中期新石器時代には磨り臼が出土しなくなり、穀物を煮たり、蒸したりするために使用されたと推測される土器の種類が多数発見されており、粒食としてアワを食するように変化したのだと考えられている[2]。粉食から粒食への転換が起きた理由は不明[2]。
紀元前7000年頃のメソポタミアで小麦が栽培されるようになり、小麦栽培は世界各地に広まっていった[3]。戦国時代の邯鄲(現・河北省)の遺跡から回転式の石臼が発見されている[2]。続く秦から前漢と時代が下るにつれて、回転式の石臼の発見例は増えているため、この時期には小麦の生産と製粉が普及していったものと推測されている[2]。同様の石臼は、紀元前1000年頃の西アジアの小麦作地帯でも発見されており、古代ギリシア・ローマで発達した石臼であるとみられている[2]。小麦の栽培技術、小麦を製粉して食べる技術とが共に西方から東アジアへと伝えられたと考えられる[3]。
宋以後には麵条を使用した料理名は、「○○麵」と記されるようになった[2]。麺が中国全土に普及し、大衆的な食べ物になったことで、さまざまな種類の麵料理がつくられるようになったと考えられている[2]。北宋が破れて南宋成立以降となる1147年に書かれた孟元老の『東京夢華録』は北宋の首都・開封(現・開封市)の繁栄ぶりを偲んで記された書であるが、「北宋時代は匙を使っていたが、今は箸を使う」という記述がある[2]。北宋時代はスープに入っていた小麦粉食品が塊状に成形してあったのに対し、南宋時代には麵条に成形されるようになったので箸を使う必要になったのではないかと推測されている[2]。
中国北方で発達した麵食文化は北宋の滅亡によって、江南の南宋へと人の移動が起き、これに伴い江南では小麦の栽培面積は増加した[2]。開封の名物であった羊料理も南宋に伝わり、米を原料にした麵や素麺の製法も以前から江南に存在していたことを踏まえると、南宋の時代に中国の麵文化はほぼ完成したと推測される[2]。
製麺技術による分類[編集]
手延べ麺[編集]
道具をまったく使用せずに、練り粉を手で線状に伸ばす製麵法である[3]。
練り粉でつくった棒状の生地をひたすら細く加工していく技術は、中国文明からすると「辺境」ある新疆ウイグル自治区やモンゴルに残されていた技術であった[3]。現在の中国では山東省、山西省、陝西省などが手延べ麺の有名どころとなっている[3]。
手延べ製法で作られた麵は、
素麺[編集]
練り粉でつくった棒状の生地を1本のながいひも状に伸ばすのだが、乾燥を防ぐために、ひもに植物油を塗る[3]。2本の棒のあいだにひも状にしたものを巻きつけておいて、棒の1本を固定し、もう片方の棒をひっぱることで、巻きつけたひも全体を一度に伸ばして、糸状の麺を作る製麵法である。日本の「手延べ素麺」の製法でもあるわけで、上述の「手延べ」と違って、道具をまったく使用しないわけではない。
現在の中国では、福建省の福州市、厦門市などで作られている[3]。
切り麵[編集]
麵生地を薄く延ばし、刃物で切って線状に加工する製麵法[3]。
中国では
押し出し麺[編集]
小孔が開いた容器に麺生地を入れ、小孔から押し出すことによって線状に加工する製麵法[3]。
リョクトウ、ソバ、コメなど小麦粉以外、グルテンが含まれない粉製品を麺にする際に適用されることが多いが、小麦粉の麵つくりにも適用される[3]。
河粉[編集]
広東省で言うところの河粉であるが、福建省では
刀削麵[編集]
ふとい棒状にした麺生地を左手に持って、右手に持った三日月形の刃物で、鍋の熱湯のなかに削りおとして、茹で上げる麵である[3]。