阮朝

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大南
Nhà Nguyễn(茹阮)
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この国旗は正確にはベトナム帝国時代のものである。
名称
国の標語と国歌
国歌 登壇宮
基本情報
政治体制 共和制
首都 順化
公用語 ベトナム語
建国年月日 1802年6月1日
人口/面積
人口 10,500,000人(1830年),14,752,000人(1890年)
面積 557,000km²(1830年)
人口密度 18.9人/㎢
経済
通貨 越南文
コード
政府
元首 世祖 嘉隆帝(1802年 - 1820年),保大帝(1926年 - 1945年)
歴史
備考

阮朝(げんちょう、グエンちょう)は現在のインドシナ半島に存在した王朝。首都は順化(フエ)。

概要[編集]

阮氏を歴代皇帝とし、1802年から1884年まで現在のベトナムラオスカンボジアに独立君主国として存在。1884年から1945年までフランス共和国の保護下に置かれ、儀礼的な皇帝として存在した。日本がこの地を占領すると、1945年にベトナム帝国に移行した。

1838年の領域[編集]

  • ベトナムのほぼ全域
  • カンボジア カオコン州、カンポンスポー州、カンポット州、タケオ州、カンダル州、プノンペン、プレイベン州、スヴァイリエン州、カンポンスポーエル州、カンポンチュナン州の南部,クラチエ州の南部,モンドルキリ州の南部
  • ラオス フアパン県,シエンクワーン県,サイソムブーン県,ボーリカムサイ県,カムムアン県,サワンナケート県

出典[編集]

[1]

歴史[編集]

1802年内戦状態にあったベトナムを統一した阮氏が、の支援を受け建国し、国号を越南(えつなん、Việt Nam)とした。清に朝貢していたが、周辺諸国には皇帝を名乗り、元号も用いた。従来のベトナム諸王朝と同様、中国に倣い科挙と官制を導入し、漢字を使用して漢語にはそのまま、固有の語彙には国字を使用した。

1884年にフランスに従属することとなり、次第に植民地化されていくが、1945年に日本が[[フランス領インドシナ[[を制圧すると、フランスの植民地支配は終わり、バオ=ダイ皇帝は独立を宣言、ベトナム帝国に移行した。

脚注[編集]

注釈[編集]


出典[編集]