野田又雄
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野田又雄(のだ またお、1902年1月30日 - 1940年1月17日[1])は、日本の陸軍軍人。「野田又」の通称で呼ばれていた[2][3]。
概要[編集]
『デカルト』(有斐閣、1950年)などの著書のある哲学者の野田又夫は「野田又雄」と誤記されることもあるが[4]、別人。軍人の野田又雄が「野田又男」と書かれていることもある[5]。
経歴[編集]
陸士35期[6]。1931年に陸軍が起こしたクーデター未遂事件である十月事件の当時は近衛連隊付で幹部候補生の教官をしていた[7]。
事件で野田は幣原外相を担当、事前に植木屋に変装して幣原の私邸を偵察した[8]。しかし計画は決行前に発覚、10月17日に野田は逮捕された[9]
野田は興安学校少年隊を創設、隊はノモンハン事件で勇戦したが[10]、野田自身はこの戦いで戦傷を負い、戦病死した[11]。
出典[編集]
- ↑ 「故陸軍歩兵中佐野田又雄氏略歴」、『鉄心』第6巻第2号、治安部参謀司、1940年、 3-4頁。
- ↑ 大蔵栄一 『二・二六事件への挽歌』 読売新聞社、1971年、40頁。
- ↑ 石橋恒喜 『昭和の反乱 三月クーデターから二・二六事件まで』上巻、高木書房、1979年、94頁。
- ↑ 誤記例
- 野村新「ペスタロッチー教育学における人間観」、『大分大学教育学部研究紀要』第3巻第3号、大分大学教育学部、1968年、 22頁。
- 中西利理 『続 暦年的労作選集』 文教書院、1991年、29頁。ISBN 4-8338-9114-X。
- ↑ 竹山護夫 『昭和陸軍の将校運動と政治抗争』 名著刊行会、2008年、104-105頁。
- ↑ 『陸軍士官学校』 秋元書房、1970年、240頁。
- ↑ 末松太平「二・二六事件断章(その六) 翹望(ギョウボウ)」、『史』第75号、現代史懇話会、1991年、 15頁。
- ↑ 『昭和の反乱』上巻、94-95頁。
- ↑ 『昭和の反乱』上巻、89-91頁。
- ↑ 『満洲国軍』 蘭星会、1970年、630頁。
- ↑ 『満洲国軍』752ページ。