近鉄奈良線列車暴走追突事故

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

近鉄奈良線列車暴走追突事故とは、近畿日本鉄道奈良線で発生した鉄道事故である。

事故の流れ[編集]

1948年3月31日。奈良7時20分発の上本町行き急行列車は、満員の乗客を乗せて3両編成で出発した。

折り返す前の額田駅、旧生駒トンネルに入る直前の生駒駅で、ブレーキの効きが悪かったのか、オーバーランした。このとき駅の助役が運転士にこのままいけるかと聞いたところ、運転士は大丈夫だと言って運転を続けた。

しかし、旧生駒トンネルの途中でブレーキが効かなくなり、25、そしてその先は35‰の急な下り勾配で暴走を始めた。

列車は高速でカーブを通過し、脱線はしなかったものの、前後両方のパンタグラフが遠心力で振られ架線から外れた。

通勤中の警察官や鉄道会社の職員が乗り合わせていたため、彼らが乗客をまとめ、混乱を防いだ。

乗客も一致団結し、非常用手動ブレーキを回したり、窓を開け[1]たりした。

しばらくし、線路が平たんになり、手動ブレーキの効果もあってか、一時時速100Kmほどもあった速度は時速80Km程度に落ちた。

しかし、その先の花園駅に停車していた普通列車が発車した直後、追突、大破した。普通列車が発車する前に追突していれば被害は増えていたかもしれない。

原因[編集]

老朽状態で放置されていたブレーキホースがゴムの劣化によって破損したことが原因とされる。

この車両は非常弁付き直通ブレーキ[2]を搭載していた。しかし、非常菅を使用していなかったため、ブレーキホースが切れるとブレーキがかからなくなる危険な状態だった。

  1. 空気抵抗が増大して減速し、衝突時に窓ガラスが飛び散るのを防ぎ、非常時の脱出・救助を容易にした。
  2. 空気ブレーキといい、先頭車からブレーキホースを使って圧縮空気を送ることでブレーキシリンダーを押し、ブレーキをかける方式だった。非常菅と呼ばれるブレーキホースを追加し、非常菅が切れたときに非常ブレーキがかかる仕組みを非常弁付き直通ブレーキという。