西竹一

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

西竹一(1902-1945)とは、大日本帝国陸軍の大佐。

馬術の達人。

通称、バロン西。

大日本帝国陸軍の中川圭一

名言:我々は勝った。(ロサンゼルスオリンピックで)我々(複数形)の意味はお察しください

人物[編集]

超金持ちの父親、西徳二郎男爵と女中の間に生まれる。

イタリア産の超高級馬ウラヌスを購入。

1932年、ロサンゼルスオリンピックにウラヌスとともに出場。金メダルを獲得した。このときは、ウラヌスに乗った西竹一の絵が描かれた着物が大流行したという。馬術で金メダルを獲得した日本人は歴史上、彼だけである。

YouTube 動画リンク

背が高くてイケメンで究極の超大金持ち。大日本帝国陸海軍の全軍人中、女にモテること間違いなくNo.1。

ウラヌスと比較すると小柄に見えるが、それはウラヌスが超巨大馬だからである。

物資が欠乏していた太平洋戦争末期の硫黄島で、エルメスの高級ブーツを履いていた。硫黄島から本土に戻ったときには、ガソリンばかりか食料にも困窮していた東京で高級外車を乗り回していたという。このとき自分の連隊のために二十三輌もの戦車を調達している。関係者にイヤと言えぬ程の金品を与えて、製造中や整備中、改造中の戦車を自分の連隊のものとしたと推測される。そうでなかったら自腹で戦車を購入していたのであろう。

イッタイどーゆー金持ちなんだよ?というと、父の西徳二郎男爵は義和団事変での活躍により、西太后陛下から中国茶の独占販売を許されていた究極の超大金持ちだったのである。

戦死[編集]

1945年、硫黄島の戦いで戦死。戦死の状況については、手榴弾を投げられて戦死した。戦車からの砲撃で戦死した。切腹により自決した。など、全く違う情報が複数あり、不明である。

アメリカ側によると、日本軍に鹵獲された水陸両用車の中で日本の将校が戦死しており、所持していた手紙から西竹一と確認したというが、アメリカ人が日本語を読めたとは思えず、この情報も信憑性が高いとは言えない。

尚、海軍の撃墜王、坂井三郎は兵力温存のために硫黄島から連れ戻されている。

関連項目[編集]

中川圭一