花咲まゆ
| プロフィール | |
|---|---|
| 別名義 | 沢井 由実 |
| 出身地 |
|
| 瞳の色 | 黒 |
| 毛髪の色 | 黒 |
| 公称サイズ(時期不明) | |
| 身長 / 体重 | ― cm / ― kg |
| 活動 | |
| デビュー | 1981年7月 |
| ジャンル | 写真(芸術) |
| モデル内容 | ヌード |
| テンプレート - カテゴリ | |
花咲 まゆ(はなさき まゆ、1968年頃 - )は、日本のロリータモデル。本名、藤堂 澄代。写真家清岡純子に見出された。青山正明は花咲まゆについて「あどけない表情とグラマラスな体型の双方を兼ね備えていた」と論評している[1]。織絵可南子や諏訪野しおり、山添みづきなどスレンダーなモデルが多数を占めた1980年代のロリータブームの時期において、彼女や田中みお(少女M)のようなタイプは少数派として位置付けられた[2]。一連の清岡作品に登場した少女モデルの代表的存在であり、『プチトマト』シリーズの数多い少女モデルを含めても随一の美少女だった。川本耕次によると「処女太りでムチムチの女の子」である[3]。後年、清岡も「いちばん思い出深いモデルである」とし、清岡の自宅兼事務所に飾られていたまゆのパネルに関して「ずっと少女を撮り続けているけど、これ以上の傑作はいまだに撮れない」と語った[4]。1987年に発行された『FOCUS』誌でもこのパネルは確認できる[5]。
概説[編集]
1968年頃、東京都に生まれる。両親と妹・弟がいる[6][注釈 1]。
都内で育ち、1981年4月1日、中学校入学。1年生在籍中のデータであるが、得意科目は国語と音楽、クラブ活動でバスケットボールに励む[注釈 2]。美人の顔立ちで、おとなしい素直な性格で、クラスの男子からもモテモテである(週刊平凡パンチによる)[6][注釈 3]。
1981年頃、清岡と出会う。清岡の第一印象は「感受性の強い子」。即座にモデルにすることを決める。撮影のために脱いでもらったところ、顔に似合わず“立派”な体に驚いた[9]。
1981年7月(当時13歳)、清岡純子が刊行していた作品集『白薔薇園 PART-2』に沢井由実名義で登場。デビュー作[注釈 4]。なお、13歳というのは発行時の年齢で、初めての撮影は本人12歳のときだったという説もある。清岡によると、聖少女(初めて撮った少女)と並んで最も印象深い少女である。1歳下の妹がいるが(『白薔薇園 PART-2』の春子)、妹が撮ってほしそうに清岡になつくので仕方なく1回だけ撮った[注釈 5]。不思議なもので、妹が撮ってほしいと言うとまゆも乗り気になった[10]。
1982年2月、清岡の『聖少女』シリーズ第5作目のモデルとして花咲まゆ名義で『潮風の少女』に登場。京都市のフジアート出版から刊行され、大ヒットとなる[2][注釈 6]。撮影場所はおそらく千葉県の外房。帯には安奈淳の推薦文、巻末には山口洋子の推薦文があり、清岡の本気が見て取れる。少なくともこの時は芸術のつもりだったのであろう。山口は「未だ真珠を宿さぬ貝、私の目はそこに吸い寄せらた」という意味深なことを言っている。
1982年9月、写真集『私は「まゆ」13歳』も同じく大ヒットとなった[2]。この写真集は『BOMB!』誌によると「清岡純子の女性特有の細やかな視点が随所に感じられる。体つきはぽってり型で、胸もまろやかで大きい」とのこと[11]。撮影場所は鳥取砂丘という説が有力。この本の出版後、まゆへのファンレターは清岡のところに届いた分だけで200通を超えた。送り主の多くは中学生から大学生の男性だが、なかには高校の教諭が購入し「付き合うならこんな女の子にしろ」と教え子らに見せたという例もある[12]。
1984年4月1日、私立高校入学。1984年に出版された清岡の著書によると中学時代にやっていたバレーではなく、テニスをしている[8]。『MilkClub1993年版』でも高校ではテニス部に入るとしている[10]。本人が15歳か16歳のころ、もう一度撮影しないかと清岡サイドからオファーがあったが、本人が泣いて断ったため流れた。友達の家に遊びに行ったときに、友達の父親が彼女の写真集をもってきて「本名でサインしてくれ」とニヤニヤしながらせがんだことが原因。学校では周囲から「ポルノ」と呼ばれた。
19歳のころ結婚したという説がある。信頼できる最後の目撃証言は1991年、清岡の葬儀に参列したときである。
写真集[編集]
- 清岡純子 『白薔薇園 PART-2』 株式会社大塚カラー現像所、栃木県鹿沼市、1981年7月25日、初版。 ※沢井由実 名義
- 清岡純子 『舞う少女 清岡純子の少女写真術』 ダイナミックセラーズ、1982年。OCLC 673695590。
- 清岡純子、山口洋子 『潮風の少女』 フジアート出版〈聖少女 PART V〉、京都市、1982年2月19日、初版。ISBN 978-4-82890291-3。
- 清岡純子 『私は「まゆ」13歳』 フジアート出版、京都市、1982年9月20日、初版。ISBN 978-4-82890292-0。
雑誌[編集]
- 「清岡純子写真集より 沢井由美」『平凡パンチ』13巻30号 ※1981年8・3日特大号
- 「潮風の少女 花咲まゆ」『平凡パンチ』19巻6号通巻898号 ※1982年2・15日号
- 「ピンナップ」?『平凡パンチ』19巻10号通巻902号 ※1982年3・15日号
ビデオ[編集]
- 清岡純子(監督) (1987年). わたしは「まゆ」思い出の夏 (VHS). たんぽぽの花.
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 「清岡純子プライベートコレクション」全3巻のうち『Petit Lady』に、星座は乙女座であると解釈できる記述がある。これに従うと 推定される誕生日は1968年8月23日から9月23日の間[7]
- ↑ バレーボールをしていたとする資料もある[8]
- ↑ 八王子市立M中学校に在学、ヌードモデルをしたことが同級生に発覚したので自殺、という説は根拠がない
- ↑ 本書には沢井由実&春子(11歳)、尾寺純二(12歳)、桜邦子、桜邦子(14歳)&谷田ひろし(13歳)といった少年・少女のヌード、はらたいらが初めてとったという女性のヌードが掲載されている
- ↑ 当時はあんまりかわいくはなかったと清岡は言う
- ↑ 清岡純子が手がけた『聖少女』シリーズの中で最も販売成績がよかった[4]
出典[編集]
- ↑ 青山正明「ロリータをめぐる冒険」、『宝島30』第2巻第9号、宝島社、1994年9月8日、 166頁。
- ↑ a b c 斉田 1997, p. 41.
- ↑ 川本耕次 『ポルノ雑誌の昭和史』 筑摩書房〈ちくま新書927〉、2011年10月10日、180頁。ISBN 978-4-480-06631-2。
- ↑ a b 斉田 1997, p. 40.
- ↑ 「摘発された「少女ヌード」―10年間撮り続けた女流写真家・清岡純子さんの大反論」、『FOCUS』第7巻第6号、新潮社、1987年2月13日、 52頁。
- ↑ a b 平凡パンチ 1982.
- ↑ 清岡純子 『清岡純子プライベートコレクション: Petit Lady』 KKダイナミックセラーズ、1983年7月10日。
- ↑ a b 清岡 1984.
- ↑ 清岡純子 『プチトマト 17号』 KKダイナミックセラーズ、1984年4月15日。
- ↑ a b MilkClub 1993.
- ↑ 「ボムバース・ロリコンランド」、『BOMB!』第5巻第3号、学習研究社、1983年3月1日、 65ff。
- ↑ 『プチトマト:清岡純子少女写真集 8』(ダイナミックセラーズ)
参考文献[編集]
- 斉田石也「ブーム時代の天使達 第九回」、『劇画コマンドー1月号増刊・Sweet Lowteen』第11号、黒田出版興文社、1997年1月1日。
- 清岡純子 『プチトマト 22号』 KKダイナミックセラーズ、1984年10月10日。
- 「潮風の少女 花咲まゆ」、『週刊平凡パンチ』第19巻第6号、平凡出版、1982年2月15日。
- 「清岡全仕事」『アリス・クラブ1993年07月号増刊 MilkClub1993年版』 白夜書房、1993年7月31日。