源助村
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源助村(げんすけむら)はかつて駿河国(現、静岡県)にあった村である。(実際は明治22年まで存在した。詳しくは大洲村を参照) 現在の住所は五平村と合わさって大西町(源助は大西町3丁目)となっているが一部は源助といわれている。
地理[編集]
北緯34.825630東経138.230073付近
沿革[編集]
戦国時代に初倉から大井川の氾濫によって今の場所に流された。そこに内藤一族が入植してきたと言われている。
大洲村を構成していた忠兵衛新田、五平村、善左衛門村、土瑞村、弥左衛門新田より入植が早かった。
江戸時代には源助村は大井川が増水したときに旅人がここで止まっていた。そして幕府の直轄領だった。
(一五八九)七月七日の徳川家七ヵ条定書写(御庫本古文書纂)の宛所として「遠州源助村百姓等」とある。
文禄二年検地高目録では高一二〇石余。[1]
最近では土地の開発が進み大井川沿いに科研製薬や持田製薬がある。
出典[編集]
外部リンク[編集]
グーグルマップ(源助)
コトバンク(源助村)