池田勇人

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池田勇人(いけだ はやと)は、日本政治家

概要[編集]

広島県吉名(現・竹原市)生まれ。県立忠海中学校から一高を目指すが五高に回され第五高等学校卒。京都帝国大学卒業。
大蔵省に入省。省内で京大卒は少数派であったことや病気休職も経験し、戦前は出世しなかったが、公職追放に引っかからず、戦後に官僚の出世コースに載り、吉田茂(首相)に知られ、自由党に入り、各省大臣を歴任するも失言も目立った。保守合同後は派閥の領袖として「宏池会(池田派)」を率いた。

1960年1964年まで自由民主党総裁、内閣総理大臣を務めた。高度経済成長政策を推進したが、病気により退陣。翌1965年に死去。

失言[編集]

  • 貧乏人は麦を食え - 米価高騰時、富裕層が米を食うような経済原則に則った蔵相時代の所見について「貧乏人はを食え」と報じられた。
  • 中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない - 通産相時代の発言は「正常な経済原則によらぬことをやっている経営者が倒産して、自殺に追い込まれてもやむを得ない」だが、野党が「中小企業が倒産しても良いのか」と批判。マスゴミはこの2つのやり取りを歪曲報道して注目され、通産相不信任決議も通って辞任に追い込まれた。
先代:
岸信介
内閣総理大臣
第58-60代
次代:
佐藤栄作