武州
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武州(ぶしゅう)は武蔵国の別称、別名である。
概要[編集]
武蔵国は律令制の整備に伴い、7世紀後半頃に成立したと考えられている。武州は日本書紀には登場しないので、奈良時代より後代の呼称と思われる。 『吾妻鏡』では武州は北条泰時など個人を表す呼称として使われる例がある[1]。 つまり、武州の使用例はあるが、この頃は国名としては使われていないようである。
1413年(応永二十年)には武州南一揆が起きており、室町時代には国名または地域名として使われていることが分かる。 江戸時代に駒井乗邨(1766-1846)がまとめた『鶯宿雑記』には「武州河越御城内天神縁起」の記事、『好古堂漫録』に正保四年武州王子村の記載があること、歌川広重の作品『諸国名所百景』(安政6年)に「武州横浜野毛」があることから、武州は武蔵国の別称として江戸時代には広く使われていたことが分かる。
事例[編集]
- 武州鉄道 - 1924年から1938年にかけて埼玉県を拠点に運行した鉄道である。
- 武州ガス - 埼玉県西部で瓦斯事業を展開する。
- 武州交通興業 - 東京都国分寺市に本社を置くバス・ハイヤー事業者。
- 武州製薬 - 川越市で医薬品や治験薬の受託製造を担う会社。
注[編集]
- ↑ 『吾妻鏡』貞永元年壬辰(1232)五月小十四日甲午。武州專政道給之餘。試御成敗式條之由。」