潜水艦用一号水上偵察機
潜水艦用一号水上偵察機(せんすいかんよういちごうすいじょうていさつき)は、大日本帝国海軍が1927年(昭和2年)に制式採用した潜水艦搭載用の偵察機である。潜水艦に分解して搭載し、必要に応じて組み立てて発艦させる運用思想に基づいて開発された。
概要[編集]
第一次世界大戦後、世界各国で潜水艦と航空機の連携に関する研究が進められた。特に、潜水艦による偵察能力の向上は、広大な海洋での作戦行動において重要な要素と考えられた。大日本帝国海軍もこの思想に着目し、潜水艦に搭載可能な小型偵察機の開発に着手した。
潜水艦用一号水上偵察機の開発は、横須賀海軍航空隊が中心となって行われた。当時の航空技術の粋を集め、分解・組み立てが容易であること、狭い潜水艦内に収納可能であること、そして洋上での安定した離着水性能を持つことが求められた。
試作機は1927年(昭和2年)3月に初飛行し、その後の試験で良好な結果を示したため、同年中に「潜水艦用一号水上偵察機」として制式採用された。
設計と特徴[編集]
潜水艦用一号水上偵察機は、複葉機であり、フロートを持つ水上機であった。最大の特徴は、機体を数分で分解・組み立てできる構造にあった。潜水艦の格納筒に収めるため、主翼は折り畳み式ではなく、分解して収納する方式が採用された。
胴体はジュラルミン製で軽量化が図られ、主翼は木製骨組みに羽布張りであった。エンジンは空冷星型エンジンを搭載し、出力は約100馬力程度であったとされる。偵察任務を主目的としたため、武装は施されていなかった。
洋上での運用を考慮し、フロートは頑丈に作られていたが、波の高い荒れた海では離着水が困難となるという課題も抱えていた。
運用[編集]
潜水艦用一号水上偵察機は、主に巡洋潜水艦や海大型潜水艦の一部に搭載された。潜水艦の甲板上には、機体を組み立てるためのレールが設置され、発艦時にはカタパルトではなく、レールを使って海面に滑り出す方式がとられた。回収は、着水した機体に潜水艦が接近し、乗組員が手作業で引き上げる形で行われた。
主な任務は、敵艦隊の偵察、気象観測、あるいは友軍潜水艦の誘導などであった。しかし、当時の技術的限界や洋上での運用上の困難さから、その実用性は限定的であった。特に、悪天候時の運用や、潜航・浮上を繰り返す潜水艦からの頻繁な発着艦は、乗員にとって大きな負担となった。
この経験は、その後の潜水艦航空隊の運用思想や機体開発に大きな影響を与えた。
後継機[編集]
潜水艦用一号水上偵察機の実績と課題を踏まえ、大日本帝国海軍は後継機の開発を進めた。その成果として、1933年(昭和8年)には九一式水上偵察機が開発され、潜水艦用一号水上偵察機はその役目を終えることとなった。
九一式水上偵察機は、潜水艦用一号水上偵察機の運用経験から得られた知見を基に、より実用的な機体として開発されたが、第二次世界大戦における潜水艦の運用思想の変化(航空機との連携よりも単独での通商破壊や奇襲を重視)により、日本海軍の潜水艦搭載機は次第に数を減らしていくことになる。
豆知識[編集]
- 潜水艦用一号水上偵察機は、日本海軍が初めて制式採用した潜水艦搭載用航空機である。
- 開発当初は、潜水艦から発艦させた航空機を回収せずに使い捨てにする案も検討されたが、コスト面などから断念された。
- 潜水艦からの航空機運用は、限られたリソースの中で最大限の戦果を求める当時の日本海軍の苦肉の策でもあった。
関連項目[編集]
参考書籍[編集]
- 碇義朗『日本の軍用機 海軍機編』光人社、2000年。ISBN 978-4769822606。
- 潮書房光人新社『丸スペシャル 日本の軍用機』No.11 潜水艦搭載機、1998年。
- 歴史群像編集部『決定版 日本の潜水艦』学習研究社、2007年。ISBN 978-4056045842。