教皇

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教皇(きょうこう、ラテン語: Papaギリシア語: Πάπας英語: Pope)は、カトリック教会におけるローマ司教であり、全世界カトリック信徒精神的指導者である。バチカン市国元首も兼ねる。

概要[編集]

教皇は、使徒ペトロの後継者として、キリスト教世界における最高権威を持つとされ、その教導職には不可謬性(ふかびゅうせい)があるとされる。教皇はまた、ローマ教皇庁を統括し、カトリック教会全世界における運営を司る。その職務終身制であり、枢機卿団によるコンクラーベ教皇選挙)によって選出される。

歴史[編集]

教皇の歴史は、初代教皇とされる聖ペトロにまで遡る。初期キリスト教時代には、ローマ司教は、使徒殉教地であるという歴史的背景から、他の教会司教たちから一定の敬意を払われていた。

5世紀西ローマ帝国衰退ゲルマン民族侵入により、ローマ司教権威相対的高まり政治的空白を埋める役割も担うようになった。レオ1世(在位440年 - 461年)は、ペトロ優位性主張し、「教皇」という称号基礎を築いた。

中世に入ると、グレゴリウス7世(在位1073年 - 1085年)によるグレゴリウス改革によって、教皇権世俗権力からの独立確立し、叙任権闘争を通じてその権威確立した。インノケンティウス3世(在位1198年 - 1216年)の時代には、教皇権絶頂期を迎え、ヨーロッパ政治絶大な影響力を行使した。

ルネサンス期には、教皇世俗君主としての性格強め芸術文化保護者としても知られるが、同時に教会内の腐敗問題視されるようになった。マルティン・ルターによる宗教改革は、教皇権普遍性深刻な打撃を与え、ヨーロッパカトリックプロテスタント分裂した。

近世から近代にかけて、教皇領喪失世俗化進展により、教皇世俗的権力縮小したが、精神的権威としての役割維持された。1870年第一バチカン公会議では、教皇不可謬説教義として宣言され、教皇教導職強化された。

20世紀に入ると、第二次世界大戦後の国際社会において、教皇平和人権擁護者として存在感を示した。ヨハネ・パウロ2世(在位1978年 - 2005年)は、全世界精力的に訪問し、現代社会におけるカトリック教会役割再定義した。

権能と職務[編集]

教皇の主な権能と職務は以下の通りである。

選出[編集]

教皇は、枢機卿団によるコンクラーベ教皇選挙)によって選出される。枢機卿教皇諮問機関であり、80歳未満枢機卿選挙権がある。コンクラーベシスティナ礼拝堂で行われ、秘密厳守のもと、投票が繰り返される。候補者2/3以上を獲得するまで投票は続けられ、新教皇選出されると、煙突から白い煙が上がる。

歴代教皇[編集]

歴代教皇一覧膨大であるため、ここでは主要教皇の一部を紹介する。

称号[編集]

教皇は、以下の多様称号を持つ。

豆知識[編集]

関連項目[編集]

参考書籍[編集]