摂津国欠郡(せっつのくに かけのこおり)は、摂津国において神崎川以南の地域をさす名称。江南四郊、摂州欠郡ともいう。
摂津国神崎川以南、律令制制定当時の郡でいうと西成郡・東生郡・住吉郡・百済郡にあたる地域。しかし百済郡は抱える郷が三つと零細であったため、平安時代末期までにほかの各郡に統合されて消滅している。
名称の由来[編集]
名称の由来には諸説あり、
- 従来の四郡が百済郡の廃止・統合により欠け、三郡となったことから[1]
- 1383年(永徳3年)に摂津守護へ復帰した細川頼元の管轄領域が、隣国守護の畠山氏らに分郡として奪い取られたことから[2]
とされる。