幽霊坂 (東京)
幽霊坂 (東京)(ゆうれいざか)は幽霊が出そうな暗くて人通りが少ない坂につけられた名称である。
概要[編集]
東京には23区内に10個所以上の「幽霊坂」がある。坂学会は14の幽霊坂を紹介する[1]。
東京の幽霊坂[編集]
千代田区の幽霊坂[編集]
千代田区内だけで5か所の幽霊坂があるとされる。 その一つが千代田区神田駿河台4丁目にある紅梅坂の別名が幽霊坂である。長さ50mである。2番目は御茶ノ水駅周辺の御茶ノ水ソラシティの南側を、「本郷通り」から「外堀通り」の方向に下る長さ約190mの幽霊坂である。もとは紅梅坂と一つの坂だったが、1924年に本郷通りができたため二つに分かれて、紅梅坂と幽霊坂となった。昔は坂の両側に樹木が繁り、昼間でも薄暗く、人通りの少ないうら寂しい通りだったと言われる。 幽霊坂の標識がある。別名は甲賀坂ともいい、東京都千代田区神田駿河台四丁目から神田淡路町2丁目まで続く坂である。3番目は富士見小学校と日本歯科大学の間の細い通りの長さ120mの幽霊坂である。4番目は神田淡路町二丁目にあり、外堀通りから本郷通りへ上る坂で光感寺坂や埃坂とも言われる幽霊坂である。千代田区富士見1丁目-と2丁目の間にも幽霊坂があるが、標識はない。
新宿区の幽霊坂[編集]
宝竜寺坂と庾嶺坂の別称が幽霊坂である。宝竜寺坂は新宿区市谷柳町にあり、牛込柳町駅から近い長さ30mの坂である。明治時代に道路脇に寺の樹木が繁った淋しい坂であり、標識に「また明治頃、寺の樹木が繁り,淋しい坂であり,幽霊が出るといわれたため,幽霊坂とも呼ばれた」と書かれる。庾嶺坂は、東京都新宿区若宮町にあり、坂の近くに多くの梅木が植えられていたため、中国の梅の名所「庾嶺(ゆれい)」にちなんで将軍の徳川秀忠が命名したとされる。「ゆれい」から「ゆうれい」になったとする説がある。外堀通りから、若宮八幡神社に向かう途上にある坂である。長さ120mの急坂である。
港区の幽霊坂[編集]
港区三田4丁目にある「三田の幽霊坂」と言われる長さ約230メートルの坂である。坂の両側に寺院があり、昔は人通りも少なく、暗くて寂しい坂だったと言われる。幽霊坂の標識が坂下と坂上にある。港区高輪2丁目にも幽霊坂があるが標識はない。高輪幼稚園から下る長さ230mの細い坂である。赤坂9丁目と8丁目の間の乃木坂は、かって幽霊坂であったが大正元年に改称された。
文京区の幽霊坂[編集]
東京都文京区目白台1丁目20番と21番の間の幽霊坂である。長さ130mの細く急な坂である。文京区目白台二丁目には別の幽霊坂がある。長さ120mで日本女子大学目白キャンパスの脇を通る。標識はない。文京区小日向1丁目にも幽霊坂がある。切支丹坂の別名である。
品川区の幽霊坂[編集]
東京都品川区南品川5-10付近にある坂である。道の両側に大きな樹木がしげり、昼でも人通りは少なく、夜は淋しい場所だったので、幽霊坂と呼ばれたとされる。道幅が狭く、途中でかぎ型に曲がる長さ80mの坂である。
北区の幽霊坂[編集]
山手線の西日暮里駅と田端駅の中間付近にある約70mの坂である。東京都北区田端1丁目にあるが、墓地や木々の間を通る脇道である。江戸時代は與楽寺の敷地にあった。標識はない。
中野区の幽霊坂[編集]
中野区東中野5丁目にあり、東中野郵便局の先にある長さ約30mの幽霊坂である。中野区立第三中学校の北側にある[2]。