岩粉山
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岩粉山(いわこやま)とは埼玉県比企郡吉見町の吉見丘陵にある真っ白な岩山である。吉見百穴の1kmほど北にある。
昭和の末から平成初期に戦隊モノの撮影に使われた。
射撃場の裏山なので、散弾銃の流れ弾がバラバラと降ってくる危ない山である。
地形と範囲[編集]
百穴射撃場から見ると普通の山だが、その反対側は真っ白な凝灰岩の岩山である。
更に、その東側にある岩山は切り立った真っ白な凝灰岩の崖である。
東側にある切り立った白い崖と、射撃場の山の(射撃場から見て)反対側にある岩山を岩粉山と称する。射撃場は岩粉山に含まれるとも含まれないとも言える。
北の道路側から岩山と岩山の間に入ると中は少し広くなっていて、そこで戦隊モノの撮影が行われた。
双方の岩山に中島飛行機の地下工場の洞窟が掘られている。
北側の入口は狭く、東西は岩山、南側は行き来出来ないような地形で外部からは見えず、戦隊モノの撮影には最適だったと思われる。
時代による変化[編集]
終戦直後[編集]
- 岩山と岩山の間を撮影した終戦直後の写真では、左側は切り立った白い岩山。右側は白い岩山である。右側の岩山に登って行ける道のようなものが作られているのが見える。岩粉山に中島飛行機の地下工場を掘ったときに出た白い凝灰岩を砂利代わりに敷いていたらしく地面は真っ白である。その状態は平成初期まで殆ど変化しなかった。
戦後[編集]
- 磨き砂の材料として採掘されていた。
- 1950年代に百穴射撃場ができた。
昭和末~平成初期[編集]
- 戦隊モノの撮影に使われた。磨き砂の採掘も終わっており他に使い道はなかったようである。
- 初期の戦隊モノの戦闘シーンに写っている白い岩山は岩粉山である可能性が高い。
- 射撃場の裏山側に、人為的に造ったとしか思えないような通路状の急斜面があった。その斜面は平成初期までは残っていたが、その後、人為的に崩したのか自然に崩落したらしく、今は無くなっている。斜面の上にあった古井戸には行くことはできなくなってしまった。
- 百穴射撃場の反対側の岩山には横穴墓のような横穴が掘られているが遺跡ではなく、テレビ局がドキュメンタリー番組を作成した際に実験的に掘ったものである。
最近[編集]
- 入り口は閉鎖され入ることは困難。
- 入り口付近は竹林になっており車両の乗り入れは不可能になっている。以前は乗り入れ可能だった。
- 奥に進むと右側の岩山(射撃場の裏側)にあった通路状の急斜面はなくなっている。
- 資材置き場になっていたためか、廃材が積み上げてあったり重機が放置されたりしている。
- 純白だった地面は泥だらけで草が生え。今では戦隊モノの撮影も困難である。
- テレビ局が掘った横穴墓はなんとか残っている。
- 昭和の末期には驚くほど美しい岩山だったのだが荒れ果ててしまった。
- 残土の棄て場になっていた感じで、地面は純白では無くなっている。逆に言えば、地面が純白というのが普通ではない。戦時中に大工事が行われる前の本来のような地面に戻ったとも言える。
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