岩倉城の戦い
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| 岩倉城の戦い | |
|---|---|
| 戦争: 岩倉城の戦い | |
| 年月日: 永禄2年(1559年)春 | |
| 場所: | |
| 結果: 織田信長軍の勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 織田氏 | 織田氏 |
| 指揮官 | |
| 織田信長 | 織田信賢 |
| 戦力 | |
| 不詳 | 不詳 |
| 損害 | |
| 不詳 | 不詳 |
岩倉城の戦い(いわくらじょうのたたかい)とは、永禄2年(1559年)春に発生した織田信長軍と織田信賢軍の戦いである。
概要[編集]
永禄元年(1558年)7月12日に浮野の戦いで織田信賢に大勝した信長は、その翌年に信賢の居城である岩倉城を包囲した。岩倉城攻略については『信長公記』では「或時」と書かれているだけで時期がはっきりせず、信頼性のある史料にも全く記載が無い。『史料綜覧』には永禄2年春とあるため、一応これを採用しておく。
信長は岩倉城を包囲し、その四方に鹿垣を二重三重に巡らし、廻番に巡視させたという。2か月から3か月にわたって包囲を続け、信長は火矢や鉄砲を放って岩倉城内に攻め込んだ。浮野の戦いで既に多くの家臣を失っていた信賢には一連の信長の攻勢に太刀打ちできず、信長に降伏・開城を申し入れて城を明け渡した。信長は岩倉城を破却してから清州城に帰陣。こうして、信長は尾張国の大半を支配する勢力に成長した。