山木隆夫

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

山木隆夫(やまき たかお)は、日本の写真家。女性や少女の写真を得意とする。『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』は20万部を売り上げ[1]第1次ロリコンブームの実質的な火付け役となった[2]。なお、初版立項者は児童ポルノに該当する画像は一切所持していない。本稿はネット上に断片的に残る情報をもとに執筆したものである。

経歴・人物[編集]

(この節出典:[3]

1942年、東京都に生まれる。

東京写真専門学校卒業。

日本写真協会(PSJ)、日本写真家協会(JPS)会員。1979年現在、新宿区にスタジオを構える。

サイパン島事件[編集]

サイパン島事件は、山木隆夫ら計4人が、サイパン島で児童ポルノを撮影し、現地の法に違反したとして有罪判決を受け島から追放されたとされる出来事の通称。なお、この通称が正しいという保証はない(何分にも古いこと、検証可能性はないに等しい)。

背景[編集]

撮影当時12歳だった少女は「さっちゃん」または「S子」と呼ばれている。「さっちゃん」は写真集『少女写真・観』の本来のタイトルとして予定されていた名称。「S子」は本名の頭文字であろう。サイパンの起訴状には実名が記されている。

さっちゃんは生まれつき心臓が悪く、20歳まで生きられるかどうかと医者に宣告されたこともある。は考えた末、さっちゃんの絵や写真を少しでも残しておこうと自ら絵筆とカメラを握り、ヌードを含む絵や写真を記録した。街の写真館や有名な写真家のモデルに応募しようと考えたこともあった[4]

そんな折、知人から山木を紹介された母は「この方なら安心して、娘の記念写真をとって頂ける」と判断、この件の撮影を了承した。さっちゃん本人もサイパン島で裸を撮られる・それが出版されることは事前に知っていた[4]朝日新聞の報道にあるように、単純にポルノに分類してよい話ではない。

事件の経過[編集]

1985年1月19日、ロケハンによって「ラダービーチ」でヌードの撮影をすると決定[5]

1月21日11:00(時刻は現地時間と思われる。以下、特に断らない限り同じ)、山木はアシスタントの佐々山けい、メイク担当の山木加代子さっちゃん親子とともにレンタカーでホテルを出る[5]

撮影終了後、警察官2名に怒鳴り込まれる。ただしこのときは彼らが警察官であると分かっていなかった。15:30、警察署に日本領事の土屋氏と秘書兼通訳の山形氏が到着。17:00、いったん警察署から帰される。18:00、ジョー・ヒル弁護士ホテルに到着[5]

1月22日、予審。ジョー・ヒル弁護士によると、判事の任期満了に伴う選挙前であり、この種の問題に関心がないと思われていたとなっては何かとまずい。厳しい判決が予想されるので条件付きで有罪を認めた方がいいとのこと。その条件は「全ての訴因について反論せずに認める」「機材・フィルムは山木らに返却」「マスコミには一切出さない」など。予審では有罪を認めたが、フィルムは返却されなかった[6]

同日、本審で山木に「罰金1000ドル執行猶予1年、1月23日までに北マリアナ諸島自治連邦区を出る、フィルムは没収」の判決が出る。12:10、法廷を出る。残された半日は島内を観光した。有名な「バンザイ・クリフ」にも行った[6]

1月23日早朝、当初の予定通り島を離れた。朝日新聞の報道にあるような追放とはニュアンスが異なるのではないか。なお、朝日新聞の記事を要約すると次の通り:

現地のカストロ次席検事によると、カメラマンの山木隆夫とササヤマ・ケイ、メイク担当のヤマキ・カヨコ、さっちゃんの母親は、人目に付かない海岸でヌードを撮影中現行犯逮捕された。
幼児をポルノに使用することを禁止した現地の法に違反、母親については自分の子供がポルノに使われるのを許可したとして1985年1月23日までに有罪確定、同日島から追放された[7]

朝日新聞のデータベースでは、この事件について見出しまでは出てくるが、記事本文は縮刷版でなければ確認できない。少女の母親について名前が記載されているので、少女の人権に配慮したのかもしれないが、縮刷版を見れば分かることを秘匿する理由が分からない。

1月25日夕方、『日刊ゲンダイ』にサイパン島事件が掲載され配布される。1月26日朝、『朝日新聞』『サンケイ新聞』にサイパン島事件が掲載され配布される[8]。ん、「マスコミには一切出さない」はずだったが、いいのか。

その後[編集]

山木は週刊誌の取材にもノーコメントを貫いた。自身の汚名返上よりも、12歳のさっちゃんの立場が微妙に変化していくのを危惧した上での決断であった。さっちゃんの母は「間違った汚名をきせられ、外国のみならず、日本でもとやかくいわれるのなら、いっそうこの写真を公表して、皆にわかってもらったほうがいい」と山木を勇気付けた。これが山木の背中を押し、 1985年4月、『少女写真・観』は出版された[8]

サイパンで撮影された写真は、少なくとも全て没収されたわけではなさそうだ。この写真集はもともと『さっちゃん』というタイトルで出る予定であったが、上記サイパン島事件によって変更を余儀なくされた。現存する写真を見る限り、被写体は12歳には見えない(もっと成長してる)。単なる個人差か、撮影技術のなせる技か不明。ミリオン出版はこれを最後にロリータ・ムックから手を引いた。ばるぼらは「これが後から始まる本格的な規制の布石となっていることは想像に難くない」と述べる[9]。ちなみに、『プチトマト42』が猥褻容疑で摘発されたのは1987年である[10]

出版[編集]

写真集[編集]

  • 山木隆夫 『ベストオブサーキットギャルズフォーミュラクイーン』 キャンギャルプレス編集部、コスミックインターナショナル、1997年NDL98076301。ISBN 4-88532-718-0
  • 山木隆夫 『Race queen in Suzuka-8時間のシンデレラたち: '97鈴鹿8時間耐久ロードレース&76人のレースクイーン』 キャンギャルプレス編集部、コスミックインターナショナル、1997年NDL98066258。ISBN 4-88532-721-0
  • 山木隆夫 『夢しぐれ: 冴島奈緒写真集』 大陸書房〈ニューアイドル写真集〉、1988年NDL88037365。ISBN 4-8033-1294-X
  • 山木隆夫 『斉藤唯写真集: オレンジ色の恋』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫. ニューアイドル写真集〉、1989年NDL89031186。ISBN 4-8033-1896-4
  • 山木隆夫 『斎藤唯写真集: 甘ずっぱい体験』 大陸書房〈ニューアイドル写真集〉、1988年NDL89013337。ISBN 4-8033-1838-7
  • 山木隆夫 『秋元ともみ写真集: 虹色エモーション』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫. ニューアイドル写真集〉、1989年NDL89031184。ISBN 4-8033-1914-6
  • 山木隆夫 『秋元ともみ写真集: まぶしいキミに…』 大陸書房〈ニューアイドル写真集〉、1989年NDL89013333。ISBN 4-8033-1880-8
  • 山木隆夫 『あなただけに…: 冴島奈緒写真集』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫. ニューアイドル写真集〉、1988年NDL88037350。ISBN 4-8033-1473-X
  • 山木隆夫 『風になりたい: 葉山みどり写真集』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫. ニューアイドル写真集〉、1988年NDL88037353。ISBN 4-8033-1472-1
  • 山木隆夫 『恋するまなざし: 葉山みどり写真集』 大陸書房〈ニューアイドル写真集〉、1988年NDL88024966。ISBN 4-8033-1343-1
  • 山木隆夫 『夢のかけら: 冴島奈緒写真集』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫. ニューアイドル写真集〉、1987年NDL88011614。ISBN 4-8033-1217-6
  • 山木隆夫 『すなおに脱がせて: 冴島奈緒写真集』 大陸書房〈ニューアイドル写真集〉、1987年NDL88003157。ISBN 4-8033-1149-8
  • 山木隆夫 『菊池エリ写真集: 唇にスイング』 大陸書房〈ニューアイドル写真集〉、1987年NDL87044114。ISBN 4-8033-1148-X
  • 山木隆夫 『菊池エリ写真集: ひかりの季節』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫. ニューアイドル写真集〉、1987年NDL87053791。ISBN 4-8033-1179-X
  • 山木隆夫 『麗美: 写真集』 壱番館書房、1986年NDL86038808
  • 山木隆夫 『赤いメッセージ: 三崎奈美写真集』 ピラミッド社〈ピラミッド写真文庫〉、1986年NDL86052332。ISBN 4-8033-1004-1
  • 山木隆夫 『誘われ気分』 ミリオン出版〈スナイパー写真文庫〉、1982年NDL84034943。ISBN 4-88672-702-6
  • 山木隆夫 『夢をひろって』 ミリオン出版〈スナイパー写真文庫〉、1982年NDL84034951。ISBN 4-88672-700-X
  • 山木隆夫 『わたしはトルコ嬢: ファンシー・レディ』 ミリオン出版〈ミリオン・ムック〉、1981年NDL82015007
  • 山木隆夫 『三崎奈美写真集: 赤いメッセージ』 壱番館書房、1980年NDL81010587
  • 山木隆夫 『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』 ミリオン出版(発売:大洋図書)〈ミリオンムック〉、1979年
  • 山木隆夫 『Little Pretenders FOREVER』 ミリオン出版(発売:大洋図書)、1982年8月10日、初版第1刷。
  • 山木隆夫 『少女写真・観』 ミリオン出版、1985年

脚注[編集]

出典[編集]

  1. 「大学生・ビジネスマンの間に、幼女性愛趣味が激増!!」、『週刊宝石』第1巻第2号、光文社、1981年、 188頁、 doi:10.11501/3373742
  2. 川本耕次 『ポルノ雑誌の昭和史』 筑摩書房〈ちくま新書927〉、2011年、180-181頁。ISBN 978-4-480-06631-2
  3. 山木隆夫 「奥付」『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』 ミリオン出版(発売:大洋図書)〈ミリオンムック〉、1979年
  4. a b 山木 1985, 第二章 「さっちゃん」を撮ることになった理由.
  5. a b c 山木 1985, 第三章 連行されるまでの行動.
  6. a b 山木 1985, 第四章 法廷の再現.
  7. “少女ポルノ撮影、邦人四人を追放 サイパンで判決”. 朝日新聞: p. 23. (1985年1月26日 
  8. a b 山木 1985, 第一章 帰国後に巻き込まれた大騒動.
  9. ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第33回 ロリコンにおける青山正明(5)”. 株式会社大洋図書. 2025年8月8日確認。
  10. 「摘発された「少女ヌード」―10年間撮り続けた女流写真家・清岡純子さんの大反論」、『FOCUS』第7巻第6号、新潮社、1987年2月13日、 53頁。

参考文献[編集]

  • 山木隆夫 「未完成写真集『さっちゃん』とサイパン島撮影<追放>問題について」『少女写真・観』 ミリオン出版、1985年