国破れて山河あり
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国破れて山河あり(くにやぶれてさんがあり)は、古代中国からのことわざ。
概要[編集]
戦乱によって国は破壊し尽くされたものの、山や川は元の姿のままで存在し続けているさまのことである[1]。人間の愚かな営みというのは、自然の前ではいかに無意味であるかを意味する[2]。
歴史[編集]
中国の詩人である杜甫による作品からの言葉。755年の唐王朝の中国で安禄山という武将が反乱を起こしたため、唐王朝による泰平の時代ではなくなった。この反乱軍は翌756年には都を攻め落として、皇帝までもが逃げ出すこととなった。この翌年である757年に都にいた杜甫が、このような都の有様を嘆いて作った詩からの言葉である。混乱した世の中を嘆き、離れ離れになった家族を案じ、そのようになった中で何もできないで年老いていくのみのわが身を悲しむという詩であった[2]。
その他[編集]
『国破れて山河あり』がタイトルのスクウェア・エニックスが開発したニンテンドーDSiウェア用ゲームソフトがある[3]。
脚注[編集]
- ↑ “国破れて山河あり | 会話で使えることわざ辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2024年1月25日確認。
- ↑ a b 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,故事成語を知る辞典, 精選版. “国破れて山河あり(くにやぶれてさんがあり)とは? 意味や使い方” (日本語). コトバンク. 2024年1月25日確認。
- ↑ “国破れて山河あり”. www.nintendo.co.jp. 2024年1月25日確認。