四条金吾(しじょう きんご)または「四条頼基(しじょう よりもと)」(1229年(寛喜元年)生 - 1296年(永仁4年)没)は、鎌倉時代の武士。日蓮の熱心な在家信者。官位は「左衛門尉」だったので「金吾」と称された。
鎌倉幕府の執権の北条氏の一族の名越氏の家来だった。
1253年(建長5年)に日蓮に帰依し在家信者になった。1271年の龍の口法難では日蓮に従って殉死する覚悟だったという。
晩年は、甲斐国内船(現在の山梨県南部町)に領地を与えられた。鎌倉にあった屋敷跡は、収玄寺となった。