古代中国の歴史年表
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- 紀元前5000年 - 前3000年頃
- 黄河中流域で古代文明(黄河文明の一つ)の仰韶文化が栄える。雑穀栽培や彩陶の使用などを特色とした。同時期には長江下流域でも文明(河姆渡文化)が栄えていたとされる。
- 前3000年 - 前1500年頃
- 黄河下流域で古代文明(黄河文明の一つ)の竜山文化が栄える。雑穀栽培や大規模な集落形成、黒陶や灰陶の使用を特色とした。
- 前2000年
- 夏 (王朝) の成立。人口約2万人の王朝。かつて実在が疑われいたが、夏に関係するとみられる遺跡が発見されたことで実在性が高まっている。
- 前16世紀
- 殷 (王朝) の成立。商と呼ばれる大邑を中心に成立した有力族邑の連合体国家であり(邑制国家、いわゆる都市国家)、殷王による祭政一致の神権政治が行われた。氏族制に基づく邑制国家の体制は春秋戦国時代に入り実力主義が浸透すると崩壊した。甲骨文字が占いの結果を記録するために用いられ、また、青銅器の使用が始まった。
- 前11世紀
- 殷滅亡後、周 (王朝) の成立。都を鎬京に置いた。前770年に洛邑に遷都するまでを西周、遷都後前256年に秦 (王朝) に滅ばされるまでを東周と言う。男系の血族集団(宗族)に封土を分与し「諸侯」として支配を認める代わりに、軍役と貢納を義務付けた(封建制)。また、支配を正当化する目的で易姓革命なる概念(要は、周王(天子)は神である天帝から新たに支配を任せられた問題ないとする考え方)が誕生した。この概念はその後の王朝交代でも用いられた。
- 前770年
- 犬戎の侵入が原因で、周は都を洛邑(現在の洛陽)に遷都。以前を西周、以降は東周とする。
- 前770年 - 前256年
- 春秋・戦国時代。遷都以降、周王の権威は急速に衰え、各地の諸侯が自立し始めた。有力な諸侯は覇者と呼ばれるようになり、斉の桓公など春秋の五覇(五人の覇者)が尊王攘夷を名目に勢力を拡大した。前453年に晋が趙・魏・韓の3国に分裂して以降を戦国時代、分裂前までを春秋時代と言う。戦国時代に入ると諸侯間の対立はますます激化し、最終的に7つの国(戦国の七雄)が分立する時代となった。
- 牛耕農法が発明され、鉄製農具の発明とともに農業上の技術革新がもたらされた。耕作に不向きだった広大な華北平原を耕すことが可能となり、農業生産性が高まった。また、大規模な治水・灌漑の事業も行われた。農業の発展とともに、農産物の流通に従事する商工業者も増加し、各国の都市は発展、刀銭や布銭などの青銅貨幣の流通が進んだ。
- 前645年
- 韓原の戦い
- 前551年
- 後に儒家の祖となり『論語』を生み出した孔子、魯に生まれる。彼に代表される政治や社会の在り方をめぐる多彩な思想を持つ人物を諸子百家と言う。孔子以外には、それぞれ性善説と性悪説を唱えた孟子と荀子、秦に登用された法家の商鞅、道家の老子、兵法家の孫子、対秦の合従策及びそれを破る連衡策を説いた縦横家の蘇秦と張儀、陰陽家の鄒衍などが有名である。
- 前506年
- 柏挙の戦い
- 前453年
- 晋の大夫層であった趙・魏・韓が自立。戦国時代の始まり。
- 前359年
- 秦の孝公、商鞅を登用し富国強兵策開始。
- 前350年
- 秦が都を咸陽に遷都。
- 前247年
- 秦王政即位。
「李斯」も参照
「子嬰」も参照
「蒙恬」も参照